エドワード親書 2009年2月号
東京オペラ協会が目指すものは?

最近こういう質問をよく受けます。今までの資料やエドワード親書を読んでいただければ分かって頂けていると思いますが、この場で改めてお答えしておきます。

まずはっきりお話ししておきたいのですが、音楽そのものは究極の目的ではなく、世の人々が元気になるための手段だと当会は考えています。それは当たり前のようですが、現代の音楽界はそう単純ではないようです。クラシック音楽は絶対の神聖なもの、というふれこみの元で、音楽関係者が名誉やお金を獲得するため の手段にされているからです。 音楽は手段だとする当会の考え方は、音楽界の中で活動するというより、音楽界があまり向き合わないでいるものに向かって活動することを意味しました。つまり現代の音楽界に追随するのではなく、音楽界の方々と協力しながらも、当会独自の音楽観で活動しています。

活動を具体的にお話ししましょう。柱となる主軸は二つあります。車の両輪のようなもので、それぞれが協力し合って目的に向かっています。

一つはユニバーサルデザインの考えに従い、あらゆる方々が参加できるよう、あらゆる工夫をすることです。当会は市民参加型オペラの魁ともなる活動を30年余り前から始めました。当時はよく、アマチュアを入れるなんて、と非難されたものです。しかし、この「ユニバーサルデザインオペラ」は、それよりもっと徹底した考え方によって作って行きます。誰もに眠っている可能性を引き出し活かす場、と考えているのです。

なぜこう考えたかをお話ししましょう。

世界の歴史を振り返ると人類の最高の共有財産とも思えるクラシック音楽なのですが、それがどうして一般市民には敷居が高いものとして馴染んで行かないのだろう?巷に溢れる安直な音楽(例外もありますが、表面や目先だけをめまぐるしく変えて、新しい音楽、と宣伝文句にして愚かな大衆を導き大儲けしているだけ のことが多いように思います。)に人々はどうして流れてしまうのか?これはこうでなければならないという知ったかぶりをした音楽教師や音楽通のために、素人が自由にクラシック音楽を楽しめないのは不自然ではないか?障害を持った方とは音楽の楽しさを共有できないのか?音楽関係者はただ自分の職業を守るために、自分た ちの価値観を押しつけているだけではないか? こんな素朴な疑問から始まり、こんなことではいけない、誰だってもっと自分の可能性を活かせる方がいいじゃないか、という気持ちで、「ユニバーサルデザインによるオペラ」を各地で始めました。つまり、障害者も健常者も、アマもプロ歌手も、子供も高齢者も、それぞれの特性を追求できる場所をオペラで作り続け ようと思ったのです。閉鎖的になりがちな音楽界の壁を乗り越えて、趣旨に賛同して下さる音楽家や意欲溢れる方々とともに活動しています。既得権にしがみつく各地の保守的な音楽関係者とのいろいろな軋轢は仕方ないものでしょう。

このように述べてきますと、高邁な理想を掲げての青臭く気恥ずかしい活動のようですが、結局の所、舞台芸術に対する私の価値観を皆さんに提出し、皆さん自身が一般の音楽界の価値観と比べていただき、もしこの価値観に共鳴していただけるなら、離合集散しながらでも構いません、それを一緒に楽しんでみませんか と、申し上げているだけなのです。

ここで誤解なきよう、説明し直しておきます。パチンコ、ファミコンゲーム、麻雀、競馬、競輪、競艇、などのように短絡的に(その道をそれぞれ深く追求されている方もいらっしゃるでしょうが)自分たちが気分転換でき、その時だけでも楽しめばそれでいいじゃないか、と申し上げているのではありません。自分の人 生観や人格がびっくりするほど変わるくらい、むしろ思いきり楽しんでほしいのです。そのためには、参加者同士で手を取り助け合いながらも、自分が出来る精一杯の自己鍛錬をして下さることを望んでいます。また同様に、プロの音楽家が音楽に深く没入し、研究し、技術の鍛錬に励むのも、音楽を世の中に、また私たちの人生に より広く深く奉仕させるためであるべきだと思っているのです。表現力を高める厳しい練習に励むのも、音楽の奥深さや素晴らしさを、より多くの人と分かち合うためであるべきだと今更ながら確認したのです。評論家や自分たち音楽家だけが評価し合って自己満足して演奏するのではなく、プロなら入場料を支払って下さる観客に 喜んで頂ける演奏が出来るよう、音楽家は自己鍛錬に励めばいいと思い直したのです。それは、観客に媚びを売るという考えではなく、こちらの感じる音楽やメッセージを観客にしっかり伝えられる技術を培った演奏者が、観客と一体となる公演を目指すことなのです。そしてそれが結果的に、観客も演奏者も一緒に勇気づけられる ことを願っています。そこには、よく見受けられる歌手たちの虚栄心は存在せず、暖かい人間賛歌が溢れることを願っています。

このような姿勢は、どんな曲を作ればいいか、どんな台本がいいか、どんな美術作品がいいか、どんな舞台がいいか、と繋がって行きます。今の世の中に必要と思えるオペラを作り出し、どんな演出で見せるか、どんな演奏の仕方がいいか、などと考えれば、最終的にはやはり人柄、作者や演奏者の人格が物を言うのかも 知れません。

では、もう一つの当会の柱についてお話しします。
これだけ混乱した国際情勢です。国際平和のため芸術は何も出来ないのか?こう考えたとき、「オペラによる国際交流」がどんなに有効かと思い世界各国と協働して来ました。海外での共同公演はもう、50回を超えているでしょう。言葉も国民性も違う、しかも我儘な芸術家同士が合作共演するのは確かに大きな困難が伴いますが、それも考え方次第で、大変にも面白くもなります。今までも、困 難を乗り越えて共演が終わったときには、より深い信頼関係が出来たように思います。自分がハーフ(ダブルと呼ぶ方がいいらしいですが)として生まれ育ち、戦争による両親の苦労などをみてきたこともあり、戦争したい、という気持ちが何故起こってしまうか、その根本原因をなくしてゆく活動をしたいと願っています。それも 、このオペラ活動で、です。

戦争の根本原因は、敵と思う人々への無理解、でしょう。さらにより深い真因は、神を見失って不安になった人間の恐怖心から来る、人間不信、でしょう。(念のためですが、私は宗教家ではありません。)国際交流オペラで、それができたらと願って活動しています。

この2つの当会の柱、お分かりでしょうか?
まだ、お分かりにならないですか?
どちらでもいいのです。分かる部分だけお分かり下さい。残りは、また気が向いたとき考えてみて下さい。何もかも簡単に分かるのは、かえって面白くありませんからねーーー。分からないのに、分かったつもりになってしまわれるのが一番の誤解の元ですから。

このような趣旨の活動ですので、文化庁などからの支援は海外公演の時などに控えめにしか頂きません。文化庁は、豪華絢爛たる舞台には、「日本最高の芸術だから」と資金援助をしやすいのでしょうが、当会が目指している、ユニバーサルデザインによる草の根運動的なオペラ活動には支援する理由を見つけられないで いるのでしょう。そんなことではオペラなんかやれるのか、と資金面について各方面から心配して頂くのですが、創意工夫を凝らすことを何よりの楽しみと思い、NPO法人らしく、活動できる経費だけは確保して頂き、スタッフも私も徹底した清貧に甘んじています。大きなお金や財産を持った人々がかえって苦労されている様子を見て、身近なスタッフは冗談でもなく、お金がなくてよかったね、と話しています。

それにしても世の中、想像力を失い、決まった思考回路から逃れられない人が多く見受けらるようになりました。マスコミなどによる情報過多が一因でしょうが、怖いですね。必要ない情報を、知っておく必要であるかのように押しつけてくるものですから、受け取るのが精一杯で、自分の想像力が働かなくなり、騒ぎ立 てるマスコミの判断がいつの間にか自分個人の判断だと錯覚させられてしまうのでしょう。私もそうかも知れません。お互い気をつけましょう。「まあ、そう決め付けなくてもいいじゃないか!」と笑いながら、じっくり優しい眼差しで、いろんな考えと向かい合いたいものですね。

   2009年2月25日

  石多エドワード