エドワード親書 2009年10月号
8月29日 長崎佐世保アルカスでの
ジョイントリサイタル

自分のリサイタルにコメントするのも気恥ずかしいので、雑談を。

東京初め各地の公演では、ユニバーサルデザインで公演することが慣例となり、僕も大いに推し進めてきましたが、今回は石多加代子の歌を長崎の人々や九州の人々に広く聞いて頂こうと思い、少し大きな形でコンサートを開催しました。成果は上々だったようで嬉しく思っています。DVDも残しましたので、ご興味ある方は、是非お買い求め下さい。

プロと呼ばれる演奏家は、自分の演奏をより多くの方々に聞いて頂き、それで生活するのは当然ですが、本当にそれでいいのか時々考えてしまいます。
何度か親書にも書いたかもしれませんが、「芸術が堕落したのは音楽学校などの芸術大学が生まれ、プロの演奏家が生まれ、評論家が生まれたためだ」とトルストイは最晩年の著作「芸術とは何か」で説いています。トルストイにとっては、誰にも分かるものこそ「真の芸術」だったわけです。

トルストイにどう向かい合おうかと私はずっと考え続け、このようにユニバーサルデザインでオペラを楽しむことを提唱してきたわけですが、ではプロの歌は無用なのでしょうか?芸術に限らずどんな分野でも、専門化すれば専門家が必要となり、評論家も出てきます。芸術の歴史を振り返れば、芸術は多様化し、複雑化 し、誇大化への道を歩んできました。それにより、オペラなどは子供や一般市民から遠ざかったのも仕方ないことでしょう。
オペラも、総合芸術という視点に戻って考えれば、可能性に満ち溢れた芸術なのですが、現状は声の技術を競い合う場として捉えられているので残念です。

今回のリサイタルで、新しい道はないかと考え、自分達の人生や人生観をさりげなく織り交ぜ、歌で振り返って見ることにしたのです。そうすれば、誰もがすぐ楽しめる単純な歌から、難易度の高い専門的な歌まで、それなりに楽しんで聞いて頂けるように思ったのですが、予想を上回る成果だったようです。これもユニ バーサルデザインの一環でしょうか。
以下、プログラムを載せておきますので、コンサートにいらっしゃれなかった方はご参考にどうぞ。掲載した数多くの写真は割愛します。


 

本日のプログラム


第1部 私たちの歩んできた道

(1) 石多加代子

皆様、本日は私どものコンサートにいらして下さりありがとうございます。
私と音楽の最初の関わりは、やはり子守歌であったろうと思います。母は自分が音痴と思い込んでいて歌ってくれませんでしたのであまり覚えていませんが、子守をしてくださった近所の姉さんが私を負ぶって歌ってくれていた様子が今でも思いだされます。また私も5人のこどもの母となってからは特にその気持ちを表 現できる曲を好むようになってきました。
今日はそんな曲から始めたいと思います。

1,ゆりかご   平井康三郎作詩作曲
2,揺りかごのうた  北原白秋作詞、草川信作曲、岩川三郎編曲
3,あなたが初めてみたものは  広田弘子作詞、島筒英夫作曲


今歌いました曲の作曲者、島筒さんは大学の1学年後輩になります。先日辻田さんが盲目でありながら、ピアノコンクール優勝という快挙をあげられましたが、この島筒さんも目の悪い方です。彼が作曲したものを、私の友人でもありますソプラノ歌手の杵島さんに口移しで伝え、コンサートで聞いた方が採譜するという 作業を経てやっと楽譜になり、私達も歌えることとなりました。彼の作品の中からもう1曲聞いて下さい。

4,ふるさとの野原で  広田弘子作詞、島筒英夫作曲

作詞者の広田さんは保育師をなさっていた方で私と同じ世代の方です。そのためでしょうか、とても同感しながら歌えます。次の曲も同じくふるさとへの気持を綴った歌です。それぞれのふるさとに対する気持ちが、時代の違いや国の違いの中で表現されていますが、どちらも好きな曲です。フルートは福田久美子さんで す。

5,ふるさとの  石原啄木作詞、平井康三郎作曲
6、リムジン江  朴世永作詞、高宗漢、李綿玉訳詞、高原哲編曲

私は小学校2年生の時ピアノを始めました。音楽は好きでしたが、練習はあまり好きではなかったのか、よく叱られ叱られながらのレッスンでした。先生は担任の畔上先生でした。先だって亡くなられましたが、この曲が好きと言って下さったことを思い出し、今回、選曲しました。畔上先生!一緒に聞いて下さい。

7,初恋  石川啄木作詞、越谷達之助作曲

日本歌曲最後の曲は大学生のテストの時に挑戦したこの曲です。あの頃とは少し違って、堅苦しいイメージを取り払い、親しみやすくのびのびと歌ってみようと思います。

8,からたちの花   北原白秋作詞、山田耕筰作曲


(2)石多エドワード

9、ミュージカル「メリーポピンズ」より 「チムチムチェリー」

(間奏で)煙突掃除という仕事は、今はもうなくなってしまったかも知れませんが、心の煙突掃除を、歌で出来れば、どんなにいいでしょう。

皆様、今日は!今日はまず、皆様に気軽に楽しんで頂けるよう、私の好きな身近な曲で歌ってゆきたいと思います。
人はなぜ歌うのでしょう?どんな歌を聞いたとき、人は心を震わすのでしょうか?どんな歌かによって、感動の種類も深さも違うのでしょう。
それはともかく、私たちは時に、もう言葉では伝えきれないような熱い大きな思いを抱くことがあります。そんなとき、その思いを音楽に託したくなることがあります。今宵のように歌を通じて、世界各地の心と心が共鳴し、深く繋がり合えればどんなにいいでしょう!
私は小さい頃から歌うのが好きでしたし、幼い頃からなぜか自然に惹かれ、山や海によく出かけてこんな歌を歌っていました。

10、いつかある日

高校3年生のときには受験などそっちのけで、学園祭用にロシア民謡からいろんな曲を選びミュージカルに仕上げて、主役を歌っていました。その中から、ともしび、です。

11、ともしび

私の父方の祖父は18歳のとき、一肌あげようと16歳の奥さんとフィリピンに渡り、父はフィリピンで生まれ育ちました。母はフィリピン人でありながら日本軍の報道部に勤めた関係で、父と知り合い結婚しました。戦後母は、フィリピンのゲリラから命を狙われ、8ヶ月という身重の身体でありながら、逃げるように して佐世保に船でたどり着き、その2ヵ月後に私が生まれました。両親の苦労は計り知れませんが、二人に敬意を表してフィリピンの田植え歌を歌ってみます。フィリピン大使館がタガログ語の歌詞を探してくださり、今年92歳になる母が発音を教えてくれました。

12、フィリピンの田植え歌

ところで、私が学生だったころは、学生運動が盛んで、「革命を!」と友人達が声高に叫んでいました。自分も高校の自治会の会長などをしていたのですが、そういう運動にはどこか馴染めず、自分がこれから何をしてゆけばいいのか分からないでいました。音大に入っても、「この大変な時代に、よくそんなクラシック の歌を歌っていられるな?」と友人たちから揶揄されたものです。確かに、歌の内容を考えて見ますと、当時のプロテストソング(反戦抵抗の歌)やフォークソングの歌詞にはクラシック音楽の歌詞より、この時代を生きるものとして胸に迫るものが多いように思えました。岡林信康という名前をご存知の方はもう少なくなったこと でしょうが、当時は「フォークの神様」と呼ばれた方で、こんな歌を(アカペラで)ーーー。

13、友よ〜〜

また、ある時ハリーベラフォンテという歌手のダニーボーイを聞いて、ハスキーな声でも人をこんなに感動させられるのだと、衝撃を受けたことがあります。

14、ダニーボーイ

(前奏の中で)アイルランドは戦の時でした。ダニーボーイと呼ばれる若者は戦に出て行き、おそらくは死んでしまったのでしょう。帰りを空しく待つ者の心を歌っています。

今のダニーボーイもプロテストソングでしょうが、私はその頃、革命を唱えることよりも世界とは、人生とは何かをまず知りたいと願い、大学で哲学を学ぼうとしていたのです。いくら革命だと騒ぎ立てても、人類の大きな財産である世界の古典、美術、文学、音楽を身に付けないで新しい世界など作れるはずがない、ま ず自分が豊かに大きくならなければと思い直し、いろんな古典を片っ端から勝手に勉強しました。しかし、その古典の美術、文学、音楽を自分流にがむしゃらに学ぶ中で、ベートーベンなどのクラシック音楽に特に圧倒され、まずこの音楽の力を身に付けたい、特に作曲をしたいと突然思い立ち、回りの反対を押し切って音楽大学に 入り、石多加代子がさっき歌いました「揺りかご」や「ふるさと」の作曲家平井康三郎先生の書生として作曲の勉強をみていただきながら、音大では平行してクラシックの歌曲やオペラのアリアなどを学んでいました。


(3)クラシック音楽を

世界の歴史を振り返りますと、人類はある時期あるところで、とんでもないエネルギーを持った文化を生み出すことがあります。2〜300年前にヨーロッパで盛んだったクラシック音楽は、当時のヨーロッパだけの遺産というより、古今東西で人類が残した財産の中でも、もっとも素晴らしいものだと、思えないでしょ うか?
その世界の財産から私が特に勉強したドイツ歌曲を、シューベルトから三曲続けてお聞き下さい。

シューベルト

15、鱒

「清き流れの川に鱒(乙女)が楽しく泳いでいます。それを見た漁師(男)は釣り上げたいと思い、わざと川を濁らせて分からなくし釣り上げてしまいました。ひどいと私は思うのですがー。」

16、菩提樹
「泉の傍にある菩提樹の木陰で私は幾たびも憩い、愛の言葉を刻みつけた。今日も夜通し旅ゆかねばならない私だが、瞼閉じればそこに引き寄せられる。突然の冷たい風にも私は立ち尽くすのみ。あれから時が流れても、ここがお前の憩いの場所だよ、と呼ぶ声が今も聞こえてくる。」

17、魔王
「夜中に馬を駆る親子がいた。
男の子『お父さん、魔王がいるよ。』
父『息子よ、あれは霧が流れてるだけだから、安心しなさい。』
魔王『御出で坊や、私のところに来て一緒に遊ぼうーーー』
家に帰りつくと腕に抱かれた息子は死んでいた。」

いま歌いましたドイツ歌曲、如何でしたか?言葉の一語一語はおわかり頂けなくても、シューベルトの音楽のよさが、いくらか皆さんの胸に届きましたでしょうか?


石多加代子のソプラノ
ヴェルディの「椿姫」の中の有名なアリア(曲)です。日本語版のオペラばかりをやっていましたから、イタリア語で皆さんに伝えられるかどうか不安ですが、この大曲に挑戦できるのは今しかないとチャレンジしてみました。
娼婦にも拘わらず初めて恋したヴィオレッタ(主人公)が甘く切ない恋に期待しながらも、後半、やはりそれは夢のようなものよ、と自分に言い聞かせ、甘い恋心をうち消して行く心の変化を表現し伝えられればと思っています。  

18、ヴェルディ作曲 オペラ「椿姫」よりヴィオレッタのアリア
ああ、そは彼の人か〜花から花へ

「不思議!不思議だわ!心に刻まれたあの言葉!真実の恋は私には不幸かしら?私を夢中にした方は今まで一人もいなかった。愛し愛されるという私の知らなかったこの喜び!
ああ、多分あの方よ、たった1人で淋しい心がしばしば描いた、ひそやかな彩りの楽しいときめきの人は。慎み深く、そっと病身の私の心に触れて愛を呼び覚まし、愛の情熱の炎に燃えたたせた人は。」
「ばかばかしい!!それこそ儚い戯言だわ。可哀想な女。ただひとり、人ばかり多いこのパリという砂漠に放りこまれてしまうのよ・・・何を望むの?何をするの?
楽しむのよ!快楽の渦巻きの中にのめり込み、消えはてることだわ!
楽しむのよ!楽しむのよ!陽が昇り、陽が沈んでも、集いの中でいつも楽しくいつも華やかに私の思いは、新しい喜びを求めて飛んでいくの。」

再び石多エドワード
こうして、二人ともいま原語で歌ってみましたが、私は35年前「やはり、日本語で歌うオペラの方が直接聴衆に歌いかけることが出来、社会性を持つことが出来、総合性を活かしたオペラの活動ができるのではないか、専門家のひとりよがりにならないですむのでは?」と考えました。そして、東京オペラ協会の前身で ある「グループ潮」の創立に参加し、いつしか責任者になって今に至ります。
東京オペラ協会の活動のなかで、日本のオペラを上演したり、作曲家の方たちと日本歌曲の夕べというコンサートを定期的に催したりしてきましたが、それでは飽きたらなくなり、自分で台本を書いて日本語によるオペラを創るようになりました。また、クラシックを自由に楽しめないかと実験的な公演もしましたし、モ ーツァルトのオペラ「魔笛」をミュージカル風に「魔法の笛と鈴」と呼んで再構成したり、「フィガロの結婚」を現代歌舞伎版ホームコメディーに作り直したり、ベートーベンの第九交響曲をオペラ化するなど、クラシック音楽をより親しみやすくするために様々な工夫をし、日本語で上演する活動を35年間つづけてまいりました 。では、まず「フィガロの結婚」から、プレイボーイのケルビーノをからかって歌う、もう飛べないぞこの蝶々!

19、モーツァルト作曲 オペラ「フィガロの結婚」より〜もう飛べないぞこの蝶々

「魔笛」の方ですが、東京オペラ協会はこのオペラともに歩んできたと言っても過言ではありません。全国での公演回数は各支部、つまり各オペラプラザグループの公演も含めますと、150回にも及びます。さて、その「魔笛」から、パパの二重唱を石多加代子と。

20、モーツァルト作曲 オペラ「魔笛」より パパの2重唱

では一部の最後に、私の別名でもあるドン・キホーテから「ラ・マンチャの男」です。石多加代子にはサンチョ・パンサになって頂きましょう。

21、ミュージカル「ラ・マンチャの男」

第1部 終了―休憩


第2部 石多エドワードソングブック「こんなに空が青い」より

第2部では、私が作りました歌をお届けします。まず、自然農法で知られる福岡正信さんの詩に作曲しました、「ワンガラナイ」です。福岡さんによると、アフリカのある国ではわからない時、こうして「ワンガラナイ」と言うそうです。

1、ワンガラナイ(石多エドワード)

次は、20歳のときに作曲したものです。

2、僕は山へ(石多エドワード)

次は、私がハーフ(最近ダブルとも言います)でもあることから、国際交流をオペラでやってきたのですが、日中合作歌劇「蓬莱の国―始皇帝と徐福」で歌われる三曲をまとめて贈ります。オペラプラザ長崎、オペラプラザ福岡の仲間にも参加してもらいましょう。

3,風が飛ぶ朝(混声合唱)
4,星たちの歌(混声合唱)
5,こどもたち(混声合唱)


同じくこのオペラから、森の精=キリモが歌いますアリア「木を切らないで」をどうぞ。

6,木を切らないで(石多加代子)

次もメロディは二十歳の頃作ったものです。歌は凝らないで単純なほどいい、と思い続けてきましたが、少しだけ凝って混声合唱にしてみました。ゴメンナサイ。

7,かしの子の歌(混声合唱)

やはり二十歳の頃、癌を患って親友が死んだのですが、彼を思い出しながら作った曲で、オペラ「忘れられた少年」でも柴田南雄先生に編曲して使ってもらいましたが、今からお聞かせするのは、一昨年平戸でも公演させていただいた、日本―スペイン合作オペラ「ザビエル」でスペイン人イニーゴ・カサリ氏が編曲してく れたものです。

8,旅の終わりに(オペラ「ザビエル」より 石多加代子と混声合唱)

では、今宵最後の曲になりました。日中合作歌劇「蓬莱の国―始皇帝と徐福」のフィナーレで歌われます、徐福の歌を。作詞は、さきほどの福岡正信さんです。アイヨ!という掛け声の後に「ヤッコラサ、エンコラサ!」と歌いますので、皆さんもよろしければどうぞ!

9,徐福の歌(石多エドワード、石多加代子と混声合唱)



アンコールはあるかな?

3曲のうち最初のアンコール曲では、大手企業による音楽著作権独占問題を取り上げました。
2曲目の「果てなき旅」は、オペラ「忘れられた少年」でも少年使節が歌う同じ歌詞の曲があったことをお気づきだったでしょうか?今回歌ったのは私のオリジナル版でバラード風に作って、今も各地でよく歌っています。石多加代子とデュエットののち、オペラプラザ長崎のみんなと合唱しました。
最後の「こんなに空が青い」は20世紀最後の名曲として、お客様と大合唱――――。

オペラもいいですが、リサイタルもこういう形でなら、どんどんやってみようかと思い直しました。
ご来場の皆さん、ありがとうございました。
また近いうち、どこかの町か、雲の上でかわかりませんが、元気でお会いしましょう!


   2009年10月30日

  石多エドワード