同じことを繰り返して言いはじめると、その人間はストップして進歩発展がなくなり、もはや死んだようなものだと思っていますが、今までいろんな形でお話しした同じことを、また今から言おうとしているこの僕も、そろそろ、かも知れません。笑ってください。
しかし、その同じことをまた相談されそうですし、他にも同様のことを個別に聞きたがる方がいらっしゃりそうなので、遺言代わりに書き遺しておきます。雲の上から帰ってくる時もまだまだあるでしょうがーーー。
まず愛について
何かを、誰かを愛する気持ちというのは、何かを大切にしたい、相手に幸せであってほしい、と願う純粋な気持ちではないでしょうか?愛とは慈しむ心、と思ってもいいかも知れません。
それ以外の愛にまつわる感情は、本来の愛ではあり得ませんよね。嫉妬心や束縛したいという気持ちも愛そのものではありませんし、愛という綺麗で世間体のいい名前を付けておいて、実は利欲で結ばれている恋人や夫婦もいらっしゃるでしょう。
私はそれを非難しているのではありません。愛とそれ以外の感情の違いをまっすぐ認識した方がすっきりして誤魔化しがなく、かえっていいと思うだけです。
また、恋心と愛は区別されますが、本当に純粋な恋心は愛と同じだと思います。いいものですね。博愛も、やはり本当なら素晴らしいものです。近頃どこかでもよく唱えられる友愛も美しいと思います。これらはすべて愛です。
しかしその純粋な愛を持続発展させることは難しいです。愛に絡んでくる別の感情がすぐに湧いてきてしまうのが人間ですから。だから、恋人達は「永遠の愛」を誓いたがるのでしょうね。
人間の世の中で、永遠の愛、などあり得ないのですが、人は互いの関係をそう呼ぶことによって美しい夢を見たがったり、安心したいだけです。結ばれている関係が本当の純粋な愛によるものではなく、尊敬でも、信頼でも、許しあいでも、時には妥協でもいいではないですか、人生を軽く笑い飛ばしましょう。
これは余談ですが、フランスのカミュという作家が手帳の中で、「愛することは生きることの反対だ」と述べていました。愛する気持ちは変化を望まないから、そう言ったんだと思います。生きるとは、新しい世界を見つけて行くことだと、彼は解釈したのでしょう。
私も世界の人々を愛したいと願ってきましたが、実際の所、そう思えているときは僅かで、あとは忘れていることが多いですね。それに、広く人間を愛しているのではなく、逆境から立ち上がって頑張りたいとする人、優しい気持ちになっている人を愛しているのかも知れません。もっと言えば、頑張りたい、優しくあり
たい、という気持ちを愛しているのでしょう。
愛することと、創造的に生きること。この二律背反を止揚したいと、考え揺れ動くのが人間でしょうか。
続いて、幸せ。
人類の歴史は、より幸せになろうと創意工夫を重ねてきたような歴史です。しかしその結果、人類は今までで最高に幸せな時代を迎えているでしょうか?
一人の人間に限って申し上げましょう。幸せになろうと誰より懸命になって来た人の人生、他の誰よりも幸せになったでしょうか?
僕は二十歳を過ぎた頃気付きました。努力して幸せを捕まえたつもりでも、すぐにその先の幸せを求めたくなり、次から次へと追いかけることで人生が終わってしまうのでは、と。何が本当の幸せかは、一生の単位で考えればなかなか分かりませんし、逆に、自分に出来ることを精一杯やっていれば、幸せの方から勝手に
近づいてくるように感じました。それで、何か解放されたような気持ちになりました。こんな感覚、皆さんは持たれたことがあるのでしょうか?
その時の一時的な幸せではなく一生の幸せを考えると、自分を豊にすることだと思うようになりました。そのためには、一般に言われているようにいろんなものを吸収しようと焦るより、遊びの気持ちで空っぽになり何もかも捨て去れば、大自然の優しさが十全に受け止められ、自分が豊になってくる感じがします。空っ
ぽになると、自由になり先入観がなくなるので、物事がよく見えてくるようになるのでしょうね。
お金や権力や名誉も、持てばそれにしがみつき、振り回されて苦労するだけだと思いますが、人間って弱いものですから目先のものにしがみつきたいのでしょう。でも愚かです。
命について
人々は命を大切に、とか語り合います。しかし、命って何でしょう?
高校時代の作文で以下のことを書いたことを思い出します。「鉱物の中で電子が飛び回っているように、生命と呼ばれているものも電気のようなものが飛び回っているだけだ、と考えられないでしょうか?喜んだり悲しんだりする気持ちも、電気のようなものが体のどこをどのように飛び回っているかで、そう感じてるだ
けでは?」
はっきり言いますと、人間の命と呼ばれるものも、宇宙という生命体の中で部分的な生命現象を営んでいるだけ、と考えた方がすっきりするのではないでしょうか?
人間が自分の個の命と勝手に思って守っているつもりのものが、実はより大きな生命体の一部分でしかなく、独立した生命現象などありえないことに、どれだけの人が気づいているのか、と時々思います?
人間の命に限って、わかりやすく説明しましょう。
1回に射精される何億という精子の一個一個を人は命と感じるでしょうか?卵子は?
では、受精卵になれば命とはっきり感じられますか?
おなかの中で人間の形になってきた胎児なら、誰だって命だと、感じられるでしょうか?
新生児になって、さらに青春を謳歌している若者は命が輝いているようです。
すべての仕事をなし終え、体力も知力が落ちてゆき、枯れたように死んでゆこうとしてる人は、もとの大自然という命に還ろうとしている一枚の枯葉のように感じられませんか?私も解放され、嬉しいことにそうなりつつありますーーーー。
さっきも述べたとおり、個々の命などもとよりないのですが、敢えて個の命だけ考えてみると、あるとき突然生まれ、突然死ぬのではなく、だんだん輝いてだんだん解け去ってゆくものと思えばわかりやすいでしょう。命という言葉がまずあるのではなく、大自然の中で何かが輝きだし、また枯れて行き大自然に戻るだけ
の一時的な現象に命と名前を付けているだけなのです。
一般に、「〜〜〜という言葉の意味は何?」と問うことが多いですが、それは「〜〜〜」という事象に便宜的に名前をつけてみただけなのです。先ほどの愛もそうですが、言葉にならない何かに名前を付けた途端に、その何かが言い争われることになるのです。私たちはなかなかそれにも気付かないですねーーー。
人生は自分が作っている、ということ。
私はどうしてこんな辛い目に遭わないといけないのか?
と仰る方がいらっしゃいませんか?
しかし、生まれてから私たちは、かなり多くの選択肢を与えられています。
例えば貴方の目は、まわりの無限とも思えるほどいろんな物がある中で、何を見るかは、自分で選んできたことにお気づきですか?
美しいものを見たい人は、美しいものがいっぱいあることに気付き、この世は美しい世界だと思うでしょう。醜いものばかりを見てしまう人は、醜いものを自分で選んで見ているのです。他に美しいものがあっても、その醜いものを選んで見てしまっているだけなのです。そして、人生は醜いものばかり、と感じてしまっ
ていませんか?
もう少しお話しますと、同じものを見ても美醜の感覚は人によってそれぞれ違うことも多いですよね。醜いと思われる何かの中に美しいものを見つけてしまう人もいるでしょうし、その逆も多いでしょう。
苦労が多い人生だと思っていらっしゃる方も、より大変な道を自ら選んでいることに気付かれませんか?大きな困難と闘っている人はそれを選んで闘いたかったから闘っているだけです。小さな目標を立てて、つつましく生きることを選んでいる人は、つつましい道を自らが選んだわけです。
そう言えば中学生の頃、こんな経験もあります。夢か現実か忘れましたが、後ろから何か怖いものに追われて逃げていたのですが、思い切って後ろを振り向くと大して怖いものではなかったのです。やはり、人生は自分で作っているということでしょうか。喜びも恐怖も自分で作っているということです。
自分の人生を大変だと思っている人には、それを回りや誰かに転嫁する前に、自分で選んでいる部分がかなり多いことに気付いてほしいです。無理かな??
この通り、結局人は自分で人生を選んでいるのでは、と考えてみていただければと思います。
祈りについて
あなたは神仏に何を祈りますか?
神や仏は、合格祈願など自分が優位に立ちたい、商売繁盛など金持ちになりたい、いい結婚相手を見つけたい、などという個人的な願いを叶えるはずがありません。
神や仏は望まれることをなさるだけです。
貴方が祈ることが、望まれることなら叶えて下さるでしょうし、貴方のエゴからの願いなら叶えて下さるでしょうか?
祈るのはただ一つ。
神よ、仏よ、私の邪心を棄てさせてください、そして御心の儘行われますように。
これ以外の祈りはやめた方がいいと思います。
最後に
実は、こんな偉そうなことを申し上げている私ですが、今までの人生を思い返せば恥ずかしいことばかり、沢山の失敗を思い出します。ご迷惑をかけた方々、気付かぬうちに荒らした大自然にも、深くお詫びしたい気持ちで一杯です。
だからこそ、これからの残り少ない人生は、懺悔の時で、少しでもお詫びの気持ちが表現できる活動をしたいと、それこそ祈っています。
枯れススキになり仙人のような私ですが、今からオペラで何ができるでしょう?まだ生かされているからには、出来ることを精一杯させていただきたい、この頃はそればかり考えています。
ユニバーサルデザインを忘れず、この総合芸術であるオペラを使って、皆さんと一緒に世の中を楽しく元気にしていけたらどんなにいいでしょうーーー。私に代わる指導者も待望しています。誰もの才能を生かす場、としてのユニバーサルデザインオペラを目指すには私には荷が大きすぎるのでしょう。確かに無謀なチャ
レンジです。
私は自分で大変な道を自ら選んでいることを知っています。
このユニバーサルデザインオペラに参加される方は、私と共に多かれ少なかれ苦労したり不安になられることもきっとあるでしょう。喜びもそれ以上にあるとは思いますが、喜びばかりを連想されると、試練にあったとき大きな挫折感を味わうことになるかも知れません。それでも参加しよう、と思われる方は、いつでも
誰でも受け入れたいと願っています。
この世界は、美しくて奥深くて優しくて、凄いなあとつくづく思います。
私たち人間だって、何と素晴らしい神秘な生き物でしょう。五尺の糞虫でありながら、限りなく素敵な人生をおくることも(選ぶことも)できるのですから。
この枯れすすきも、まだまだ何かこの世界に尽くさせていただけるかも知れません。
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