皆さん、4月から5月に入っても、寒暖の変化が激しく体調を壊されていませんか?
ほんわかとした春に、泰然自若とした人の姿を見かけると、本当に気持ちいいですね。
世相に振り回されず、世界を深く抱きとめ、我が道をゆくーーーー。
そんな方、貴方の回りにもいらっしゃいますか?
視聴率や購読者数に血眼になるマスメディアが、必要以上に騒ぎ捲っています。それに振り回されたくないと願っていても、つい気になってしまう人間の弱みにつけ込んで来ます。そんな中、自然を深く吸い込み、ゆったりと自由でいられたら、本当に素敵です。
皆さんは、近頃のそんな世の中、気になりませんか?
すべてを短絡的に決めつけて分類だけしてしまい、深く考えるのはもう面倒だから終わりにして、さあ楽しく遊びましょうーーー、などと。その為、人間は薄っぺらくなり、奥行きのある面白い人が少なくなってきたような、そんな気がします。
その昔トイレか何かの宣伝で「臭い匂いは元から断たなきゃダメ」、と言っていました。
この頃、表層に現れた膿を消し去ることに懸命になり、その膿を作り出した原因を解決しようとしない傾向が顕著になってきているように思います。
それに関係した具体例をいくつか挙げましょう。
◎ 現代人の体は弱体化してきているそうですが、弱体化してきた原因をほったらかしにしておいた方が、薬や治療を施せて、医学界や製薬会社は儲かります。そして体の弱った部分の傷を表層で部分的一時的に治療することに長け、医学の発達を頌えているのが現代でしょう。環境ホルモンや合成洗剤、そして農薬や合成食
品添加物などにより人間の体がこうしておかしくなってきても、根本原因を断つことには消極的な世の中です。「土からの医療」を唱える熊本の竹熊宣孝医師が「農薬で虫はいちころ、人間はじわじわと殺される」とか「最良の胃薬は唾液であることを忘れないで」、と訴えた言葉が思い出されます。
◎ 沖縄に基地は要らない、と沖縄が一色になっているように見えます。しかし、隠れた声にも耳を傾ける度量が誰にでもいつでもほしいものです。日米安保を認めている人なら、ではどこに基地を作ろう、と提案しないのは卑怯ではないでしょうか?総論賛成・各論反対が平気でまかり通って、誰も注意しないのも、日本ら
しいところ?でしょうか?
私も基地は要らないと思います。私が基地を要らないというのは、日本のどこにも要らない、と言っているのです。そして世界のどこにも軍事基地の要らない世界を作りたいと願うのです。
何故、人間は戦争をしたがるのでしょう?どうしたら、戦争をしたくなくなるのでしょう?人間に欲がある限り、戦争をなくすことは不可能な理想論でしょうか?私には答は出せません。しかし、戦争を無くして行くための努力だけは、これからもオペラでし続けたいです。そんなに欲張らなくても、こうして歌って踊っ
てさえいれば、充分楽しんで生きていけるじゃないかと、草の根運動のように訴えたいのです。中国とは日中合作歌劇「蓬莱の国―始皇帝と徐福」でずっと共演してきましたが、ロシアや北朝鮮とも共演できないものでしょうか?
◎ 私たちには「必要な物」が沢山あります。数え上げればきりがないでしょう。あれもこれもなくては困る物ばかりですーーー。しかし、本当にそうでしょうか?よく考えたら、必要になるような状況を作り出してしまったから、必要になってしまっただけではないでしょうか?囲炉裏の生活が出来た古代に、冷蔵庫は、車
は、パソコンは必要だったでしょうか?こうして必要な物が多くなると、私たちはかえって大変になってきてるのではないでしょうか?私たち人類は幸せへの道を歩んでいるのでしょうか?
◎ 発展途上国に、学校を作って上げようと、お金を寄付する方が多くなりました。僅かのお金で自分たちが立ててやったんだと自己満足できるかも知れません。しかし、本当に学校は必要ですか?他の人より幸せになりたいと思うから、学問を身に付けて「偉く」なりたいのでしょうが、「偉く」なった人は幸せでしょうか
?トルストイの「イワンの馬鹿」を、聖書の「イブの薦めでアダムがリンゴを囓ってしまう」意味を思い出して下さい。私は教育も学校もなくなる日を待望しています。欲が生まれると大自然の営みに身を委ねられなくなるから、不安になるのでしょう。不安になるから、また欲望が生まれ、より幸せになりたいと焦る様子が見えて
きます。まさに悪循環ですね。受験勉強をやめさせたい、と願う親はもういないのでしょうか?
◎ いじめ。過酷な勉強に向かわせるから子供もおかしくなり、いじめたくなるのではないですか?いじめを無くすには、「いじめはいけないよ」と教える前に、親が子供を教えるのをやめましょう。親が間違っているのですから、子供はしつけだけきちんとしておき、自分が何かを身に付けたくなるときに助けてあげればよ
いのではないでしょうか?俗世間の価値観から自由になり、心の底からの自信を持てれば、人をいじめたい、利益をもっと欲しい、などと思わなくなるでしょう。
◎ 凶悪犯罪が多発。厳罰を!と叫ぶ前に考えて下さい。人はどうして人を殺してしまいたくなるのでしょう?大人もだんだん弱くなり、イライラすることが多くなって、あまりに大きなストレスが溜まるからではないでしょうか?あなたには誰かを殺したいと思った経験ありませんか?たまたま条件が整わなくて凶悪犯にな
らずに済んだだけではありませんか?それに、法律を厳しく定めたところで犯罪が巧妙化するだけで、抜け道はいくらでも探せます。法律は、巧妙化する犯罪の後を追っかけるように複雑になってゆきます。法律の抜け穴ごっこするより、法律のいらない社会になるといいですね。
◎ 差別語禁止。このため、詩人や作家は困っています。だんだん、自由な作品を作れなくなるでしょう。差別語により、傷つく方がいる、だからやめろ!と言うことでしょうが、その前に差別したくなる気持ち、が問題なのではないでしょうか?同じ言葉を発しても、誰が、どのような状況で、どんな気持ちで、どのような
響きで、どんな顔をして発したか、によっても違うでしょうし、受け取る方にも同じことが言えます。差別語をどんどん増やし、それをなくしたからと言って、差別が巧妙化して行くだけでしょう。法律と同じです。誰かを差別したくなる気持ちも、いじめの問題と同根です。江戸時代に、非人を作って人々をうまく治めようとした
やり方と同じですが、あなたはそれで満足ですか?
◎ クラシック音楽。大昔、クラシック音楽がなかったからといって誰も寂しくは思いませんでした。素晴らしいクラシック音楽を享受出来て、私は今確かに幸せです。でも、もともとはオペラなどなくても民謡などの素朴な歌だけで元気に生きて行けたかも知れません。現代人は贅沢がひどくなってきたのでしょうか?絵画
だって、本当にピカソやゴッホの絵は必要でしょうか?珠玉の文学作品といわれるものも、そんな時代状況を人類が作ってしまったから必要になって生まれただけではないでしょうか?また、時代に呼応してもてはやされる作品は、本当に人類を幸せにするのでしょうか?
こんな事を繰り返し書いている私は、進歩も成長もなく、遂に狂ってしまったのでしょうか?でも、もし狂っているのではないと思える方は、もう少しお付き合い下さい。
親書の読者にはしつこく何度でも申し上げます。現代の世界の混乱の根本的な解決はただ一つ。私たちは自然に生かされて生きている、これを思い直すことではないでしょうか?自然から一番遠そうなオペラをやっている私が何故そんなことを、と思われるでしょうが、私はオペラのためにオペラをやっているのではなく、現代人が少しでも自然に近づいてくれるよう、総合芸術で何でも出来るオペラを利用しようとしているのです。オペラで自然に還る
ことを表現する?なんて変な感じがするでしょうね?でも、オペラを使って何でもやってみたいのです。そんな私は、やはり変なのでしょうか?変かも知れませんが、本人は案外、大まじめでオペラで遊んでいるのかも知れません。
現代日本人である前に、芸術家である前に、人間である前に、大自然に生かされているひとつの命、であることを忘れたくないのです。
どんな天才も、神様の前では素人に過ぎません。人間はもっと謙虚でいましょう。自分の判断が絶対正しい、などと平気で主張しがちですが、神様にしか本当のことは分かりません。人間には、もともとそんな能力など与えられていないのではないですか?
自分のこういう独断的な発言に、私は一生責任を持ち続けるような気がします。読者も自分の発言に一生責任を持ち続けますか?それが一時的な気持ちや考えなら、知ったかぶりせず謙虚になっておいた方が恥ずかしくないですね、神様やお釈迦様はすべてをご覧になっているのですから。一生どころか、私たちは死後も
自分の言動に責任を持つことになるかも知れません。
そんなことより大自然に目を向け、耳を傾け、五感を研ぎ澄まし、体中で自然のめぐみを受け取りましょう。こんなに美しい新緑が優しく包んでくれている今日この頃です。世俗のことに振り回されるより、新緑と向かい合っている方がどんなに私たちを力づけてくれることでしょうーーー。
日本は、雪景色の中から梅が咲き始め、やがて日本中がサクラで満開に。そしていつしか山にはツツジが新緑の中に彩りを散りばめてくれます。日本はいいですね。
さて、オペラなど近況。
3月28日(日)に岡山で「フィガロの結婚」を公演しました。
子どもたちや、目のご不自由な方々のことは、もう可愛くて愛しくてなりません。ソリストも当然ながら、みな頑張りました。特に「偉大なお殿様」を一月足らずで見事にやってのけた今井さんには心から敬意を表します。みんなも少し目が覚めたかな?
また多くを語りませんが、制作の縁の下の力持ちになってくれた広瀬さんたち、そっと目の不自由な方々に寄り添っていた山下さん、本当にご苦労さまでした。
来年は3月13日(日)岡山市民会館でもう一度「魔笛」。
どんな公演にしようか、今からいろいろ夢見ています。
4月2日(金)には東京のサンパール荒川で「こうもり」。
老人(?)の跋扈は許されない、僕は一度現場からはずれてみようと、関係者にすべて任せてみました。
結果はやはりーーーー、それでいいのです、原点を考えさせられます。
原点とは?それは、各自の心の中にーーー。
もう今更、自分の愚かさを確認しても、笑いたくなるだけです。すべて笑い飛ばして今回出来た負債の責だけを負い、自分の道を歩んで行きましょう。
4月13日は、20年あまりお付き合いしているカトリック作家の加賀乙彦氏と内輪で懇親会。掲示板にも載せてくれましたが、氏の笑顔があまりにいいので、ここにも貼ってもらいました。如何ですか?
実は、みんなが帰った後も二人だけで夜中の一時過ぎまで、飲みながらオペラについて語り合っていました。加賀先生もお酒にはかなりお強いのですが、後日、松山では控えめにしましょうね、と二人で反省です。

4月20日はオリンパスの下山元会長と新宿本社で対談。下山氏とも10年以上お付き合いしていますが、いつでも会って下さり、心を開いて語り合え、とても有り難い話し相手です。日本の世相を俯瞰しながら、どうしたらいいのか、と語り合うのが常ですが、この日も2時間近く、お話を聞かせて下さり、私の話も聞
いていただきました。オペラで何が出来るかも、当然話に出ました。
ご高齢の方と話すのが、この頃とても好きになってきました。素敵に年を重ねられたご高齢の方、皆さんのそばにもいらっしゃいませんか?
翌4月21日には岡山で市民会館の小西館長さんを訊ね、事務局長の広瀬さん、次長の宇高君とオペラプラザ岡山を売り込みに行ってきました。親分肌の館長さんなのですが、分かって下されば強い味方になって下さりそうです。頑張れ、岡山の事務局名コンビ!
この日は続いて昼から新居浜に行き、別子山の南光院さんのところへ植物研究?に。新作歌劇「別子山」の取材旅行の一環ですが、別子山に今生きる全ての命を吸収したくて、何度も足を運んでいます。先月、波佐見焼きから選んで差し上げた白いお皿にマクロビオティック(正食といって桜沢如一さんが唱えられた自然
食)で作ってくださった和菓子を出して頂きましたが、その美味しいこと(皆さんゴメンナサイ)ーーー。(画像もカメラマンが下手でぼけてます)

それはともかく、別子山は荒廃しきった銅山だったのに、こうして緑に復活した山の「蘇った自然」が心に響きます。そう、登る度にいつも私に何かを語りかけてきます。愛媛の仲間は勿論、全国の皆さんもこの別子山に登ってみませんか?
そして4月25日には、カトリック松山教会で信徒の皆さんにオペラ「忘れられた少年」についてお話しする機会がありました。私の生い立ちや「忘れられた少年」が生まれた背景をお話ししたのですが、私の話に聞き入って下さる皆様を前に、何か不思議な気分でした。私は誰だろう?などどーーー。
続いて26日は、さっき紹介した加賀乙彦氏の講演会が松山市の聖カタリナ高校白百合館で開かれました。「忘れられた少年」松山公演の応援イベントにと、私が東京からお呼びしました。加賀先生の素朴な語り口と純粋な眼差しが100名あまりの聴衆にしっかりと深い感銘を与えたようでした。
続いてその場で私とも30分あまり対談しました。私は無宗派ですが、「教会の中で信徒が団結することも大切でしょうが、教会はもっと開かれた場であってほしいこと」、「日本ではクリスマスの時に騒がれるだけでなく、聖書の内容をクリスチャン以外の人々にもっと知ってもらえるよう工夫すること(私のキリシタ
ン3部作「忘れられた少年」「高山右近」「ザビエル」をもっと上演して欲しい)」、「芸術作品は史実を蘇らせて、そこにあった感動を現代の人々に現実のものとして感じてもらうことができる」、そんなことなどを例によってつい力説してしまい、加賀先生にも(やや押しつけがましく)同感の意を表して頂いてしまいました。
やはり私は強引なところがあるのでしょうか?(ただの生かされている命だから、と言いながらね?)後で、長すぎたと司会者からお叱りを受けましたが、逆に公演のチケットも売れたそうです。(笑ってやって下さい)
講演会の打上は実行委員会事務局長烏谷さんのご案内で、実行委員会の皆さんと共に瀬戸内海の美味しいお魚料理のお店に。加賀先生も私も東京からずっと同じ服ですね??
それから、春になると何故か思い出すのが福岡正信さん。
人類の未来は、現代人が囲炉裏の生活に戻れるかどうかにかかっている、と私に仰っていた正信さん、どこかで元気でいますか?あなたの仰るとおり、世の中は何もかも要らないもので溢れているように見えてきますが、あまり神経質になりすぎると、現代の人間にはあなたの声がますます届きにくくなりますから、まず
は私が歌で皆さんを少し柔らかくしておきます。近いうち、また下界にお話に来て下さい。これからも時々雑談しましょうね。あなたの「わら一本の革命」は確実に今も生きています。
でも、まあ、正信さんはそれでいいとして、今は新緑が優しく私に、そしてきっと皆さんに新しい息吹を送ってくれているようです。少なくとも私にはそれで充分です。
音楽家も、オペラ関係者も、宗教者も、先生方も、政治家も、子供もおじいちゃんお婆ちゃんも、目の見えなくなった方も、泣いている人も、死を前にした人も、みんなで歌いましょう、心の中でもいいですよ。
こんなに空が、こんなに海が 青い
〜、〜、〜。
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