これほど慌ただしく旅立ったことは僕にしても珍しいことかも知れない。ほとんど準備らしいこともせず、必要そうなものだけをさっと選んでかばんに詰め込み、成田に向かった。
航空会社も最低の費用でとアエロフロートを選んでいたので、どんな機内になっているか案じていたが、エコノミー席でもパソコンも使えるようになっていたし、10年前より驚くほど改善されていて安心した。スチュワーデスの愛想はまだまだだが、モスクワのチェックアウトでメガネを置き忘れて、戻って取りに行ったときには、同じく不機嫌そうだった係の女性が、にこやかに手渡してくれたので何か微笑ましい気持ちになった。
人間はいつもいい顔をしているのは大変なのだろうか?発声練習で日頃から注意を促していることでもあるが、人はいい顔さえしていれば幸せでいられるのに、日本でもつい不満気な顔をしてしまう人が多いのは悲しい。と言うか『もったいない』。
確かパティページが歌っていた歌で母が好きだったと思うが、「ブルーな時には幸せな振りだけしてご覧。そんなに難しいことではないでしょ?そうしたらーー」というのがあったことを何故か思い出した。
先日から母が咳込んでいてお迎えが近づいているからだろうか、と不安になる。僕が幼かったころ、両親が死ぬのは耐えられない、僕が先に死にたい、と強く願ったことも思い出される。無理を重ねすぎている僕も、そろそろ、か?冗談、まだまだあと30年??くらいは頑張ります!?
モスクワでの待ち時間に中国人の目立つことーーー。大声で話すだけでもすぐ彼らと分かるのだが、最近は僕も見ただけで、あれは漢民族の顔なんだと識別するのが容易になってきた。そんな中、初老(70代)のおしゃれをしたおじさんが中国人の女の子たちに携帯のメモリーについてモノスゴイ英語で訊ねていた。僕はトンチンカンな会話が続くのを見ていたが、助けたくなるのを抑えて彼らだけに会話しておいてもらった。おじさんも、それを望んでいらっしゃるのだろう、と。とにかく、中国人たちはグループで来ていたがパソコンをみんな持っていて自由に使いこなして楽しんでいる様子。―――日本の恐らくは10倍以上の人口を持つ中国。これからの日中関係、アジア関係、日米関係はどうなってゆくのか?僕が飛び回ったヨーロッパは比較的安定しているように思っていたが、やはり危うい空気も流れているようだしーーー。オペラは、僕の目指す国際交流オペラは、相互理解に平和に役立てるのか?僕の妄想でしかないのか?
さて、モスクワからなかなか飛行機が飛び立たない。そのうち、飲み物が配られて30分遅れの離陸。困ったーーー。というのは、10時30分ミュンヘン着の予定だったから荷物は預けず、飛び降りて11時発Rosenheim(RH)への最終電車に乗るつもりだったからだ。11時10分前に着いてさっさと入国審査を済ませたものの、チケットを急いで買おうとし、丁度そこにいた警察官に頼んでみたが、結局切符を買うのに手間取り予定の列車が発車。次はないだろう、と警官。いよいよ駅で野宿かと諦めかけたが、粘って探してもらうと何と別の11時4分発の列車でミュンヘン中央駅に行けることがわかり、すぐ買ってもらって、その列車に飛び乗ることができた。
しかしーーーまだドラマは続く。ミュンヘン中央駅まで着いたものの、RH への電車にどこで乗るかが分からない。教えてもらっても近郊電車とDBという遠距離電車のホームの場所がはっきりせず、二度も間違ったあげく、やっと見つけてぎりぎり飛び乗る。日本でよく調べることも出来ず来てしまったからこんなことになるのだが、これが僕の人生か?
それはともかく、列車に乗ると、60くらいに見えるおじさんが酔っぱらっていて楽しそうに話し掛けてくる。おそらくミュンヘンのビール祭りで飲んで来たのだろう。そしていつの間にか車内で僕がビールを買って二人でいつしか宴会に。会話はクラシック音楽の話で盛り上がる。もちろんドイツ語だが、分からないところがあっても気にしない。これも僕の旅の楽しみのひとつだ。年を聞いたらまだ何と50。彼も僕を年下だと思っていたらしく63になったと言ったら、呆れていた。一般に日本人は若く見られる傾向があるが、そろそろ僕も年相応に見られないと未熟なようで恥ずかしい。もちろん未熟極まりないが。
そして、RH駅に12時40分に到着。ホテルWendelsteinは駅から200Mと聞いていたが、方角も分からないので、仕方なくタクシーに乗ろうとしたら運転手が、乗らなくてもそこを曲がったらすぐにありますよ、と親切に教えてくれ、その通りに歩くと、なるほどすぐに見つかりホッ、と。受付のおじさんに遅い到着を詫びると、24時間受け付けてるから大丈夫ですよ、と快く応対してくれた。
翌朝、モーニングコールをお願いしていたのだが、目覚めてしまっていたので、朝食を取りにゆくと、なかなかリッチだったので、ホテル代が60ユーロでやや高いと思っていたが納得。それより驚いたのは文化担当チーフのベルべリッチさんが、翌朝自転車で迎えに来たことだ。しかしこの町の市街地では自転車が便利で重宝されるようだ。
さて、朝8時からの会議には、文化部長のKenederさんと秘書、そして音楽学校の校長Hartlさん、以上5人で積極的に問題点を話し合い、ほぼこちらの希望通りに決まり一安心。オペラの共演内容については複雑なので、校長先生と学校に行って共演の形を詳細に相談。この音楽学校の先生方と会っても皆さんとても好意的で、これならうまく運ぶだろう、と自信を深める。
続いて再びBerberichさんが予定の劇場Ballhauseに案内。担当者が遅刻してきたが、気にしないで待つ。
劇場というより、宮殿の宴会場といった雰囲気で、バトンが飛ばないのだが、音響はまずまずなのでOKと言う。他に選択肢もないだろうから。
そのあとは、市川市との姉妹提携の中心人物であるAnton Sketさんが経営する古風なお店にKenederさんも来て三人でランチ。出された黒ビールはこの町の特産でそれはおいしかった。例によってジャガイモと肉料理だが、やはり独特な料理方でおいしく頂いた。
それより、3人で文化論や現代社会について話し合えたのはとてもよかった。私の現代世相についての危惧など持論も熱心に聞いてくれたし、賛同の意を表していた。
夜は、共演の可能性がある地元の有名な合唱団の練習を見物。バッハのミサ曲だが、見事なもので指揮者のシュッルツ氏の指導も細かく情熱的でよく、期待していたが、彼らの来年前半までのスケジュールは相当厳しいそうなので、考えを変えて法王前の歓迎の歌と少年たちを歓迎するドイツの民謡だけを歌ってくれるよう依頼し直す。どうなるか?
翌朝はWolfrathausen(WRH)への電車に今度は予定通りスムーズに乗る。WRH駅には担当のMonica Klementさんが迎えに来ているかと思ったら居ない。時計を持っていないので駅の大時計で確認すると、何と15分早く着いていたのだ。面白いものだ。
そして予定通りの時刻に彼女が現れ、まずLandhaus Cafe Hotelに行き手荷物だけ預け、散歩しながら劇場のLoisachhalleに。日本人で地元180人の児童合唱の指導者として知られる木下さんと合流し、下見をする。やはりバトンが飛ばないので、ここでも教会公演のスタイルで公演することに。
そして、彼女のオフィスに3人で打ち合わせに。
夜は地元の音楽学校のOBらしき合唱団の見学。RHの合唱団よりも未熟だが、やる気がありそうで彼らの可能性にかけ、一応指導者のPreislerさんに参加しないかと声をかけておいた。20前後の若者たち、まだ未熟。でもそれでいい気がする。出来上がった合唱団より作りやすいかも知れない。指導者も、みんなと和気あいあいでありながらも一生懸命指導していて、可愛くさえ思えた。
翌日は、山本さんという日本人会の方がKlementさんの事務所にいらっしゃる。今回大変協力してくださったミュンヘン総領事館の鈴木さんと連絡を取り合ってくれたのはそもそも彼で、僕とWRHは英語で連絡をし合えているからいるから大丈夫と聞いて、それならでしゃばっても仕方ないと、進展をたのしみにいろんな人に既に声だけかけて、僕を待ちわびてくださった様子。
僕は昼から新しい別のペンションのようなところ(今までのところは99ユーロ、今度のところは中心部から離れていることもあり65ユーロ、ビアフェスタで料金はどこも割高と山本さんたちの話)に案内され、夜はミュンヘンのビアフェスタにでも出かけてはどうですか、と山本さんにも勧められ往復割引券を買って、とにかくミュンヘンに。マリーンプラッツに行けばビアフェスタの中心だし、オペラか面白い劇でもあるかもしれないと聞いて、一応降りてみる。20年前に観に来たことがあるバイエルン国立歌劇場がある。地上に上がると、弦楽器と電子ピアノ、それに楽器入れを太鼓代わりに使ってのクラシック音楽の大同芸。もちろん生演奏。新宿で連夜やっているマイクを使ってのロックバンドとはかなり雰囲気が違い、つい10分以上見物してしまった。さすがドイツ。そして、ビールはともかく、急いでインフォメーションに飛び込み、オペラの情報を聞くと、何とフィガロの結婚を今夜国立歌劇場でやるとか。安いチケットは?と聞くと、劇場の前売り券売り場に行かないと分からない、と言われ急ぐーーーあるかも知れない。急げ!
何と立ち見なら11ユーロ(1ユーロ120円くらい)、端の席なら15ユーロと聞き、ここなら音はいいですよ、との係員に勧められ有頂天で15ユーロのチケットを購入。2000円足らずで国立歌劇場のフィガロが見られる!浮かれて夕食を近くのレストランで定食12ユーロの店に入るが、飲み物はと聞かれ、込みの値段と思いこんでワインを注文したら、結果的にはオペラの入場券より高い18ユーロになっていた。よく考えずに注文してしまったのも、浮かれていた性だろう。
7時開演と聞いたのだが、時差を間違い1時間半前から着いてしまい、開場が遅いし、やっと入れてくれても観客は少なく、客席にはまだ入らせてくれないで、どうなってるのかと待っていたら、だんだん人が入ってきて。やはり時差が7時間だったことが判明。8時間という説?もあって分からずに毎日を過ごしていた僕も僕。
そもそも、費用が嵩むからと携帯電話を国際電話出来る様しなかったこと、ノートパソコンを持参しなかったこと、時計さえ持ってこないでいたこと、さらに欧州での変圧プラグも持ってこなかったことが響いて、ドイツの誰とも連絡が取れないような状況を作ってしまった僕が大馬鹿!倹約するものが違うだろうに!すみません。
とにかく、オペラが始まる。指揮者はギリシャのConstantinos Carydisという恐らくまだ若手。暗譜で指揮棒も持たず、見事なタクト捌きで期待した。しかし幕が開くと、舞台は平凡で独創性がないため物足りない。音楽は指揮捌きの印象に比べ、どこか訴えてくるものが弱い、薄っぺらい。ーーーー僕が指揮したらどうなるのだろう?歌手もまずまずの出来だが、一流が醸し出す気迫がいまいち感じられない。中村エリさんという日本人がスザンナだったが、声はしっかりしてよかったのだが何か伝わってこないのは(他の歌手も概してよかったのだが)、やはり会場が大きすぎるのか、僕の席が遠すぎたのか?
とにかく、20年前にハンス、ホッター出演の「ルル」をこの会場で聞いた時のような緊迫感が感じられない。僕が鈍ったのか、それとも?
しかし、この平凡であまり意欲の感じられない演出でも、後半になると、お客さんはアリアの後などやっと拍手をし始め、会場の空気もよくなってきた。ミュンヘンのお客には、こんなあたりさわりのない演出の方がいいのかも知れないと僕も思い始める。しかし、モーツアルトが狙った『人間への許し合う愛』を観客は感じていたのだろうか?「馬鹿馬鹿しいが、楽しいオペラ」と映っていただけのように思う。
僕の歌舞伎版ホームコメディーオペラはここで公演したらどう思われるだろう?キャストを鍛えあげられたら、この保守的な南ドイツであっても、内容は分かっていらっしゃるだろうし、原語のイタリア語でしっかり歌えば、たとえどんなに保守的な彼らにも新鮮に映り、面白がってもらえるかも知れない。まず、日本でベストキャストで再演したいーーー。
11時近くに終わったので、カーテンコールもそこそこに会場を飛び出すが、WRH行きの電車がまた見つからない、どこから発車するのか、例によって聞きまくってやっとホームを見つけるが、途中の駅までしか行けず、そこで寒さに耐えて次の列車を待ち、WRHに着いたのが12時半。何とか覚えていた宿まで急ぎ足の15分で辿り着く。明日は山本さんたちと山登りの約束。おやすみなさい。日本のみんなの顔が思い浮かぶ。
翌朝。突如宿の主人に起こされる。と言っても時差の関係もあり、寝たり起きたりの夜だったから気にならない。宿のオーナーからあと20分で彼らが迎えに来る、との伝言。急いで着替えて食事するうち彼らが到着。山本さんは、松尾さんという同世代の元気な女性を同行。楽しい山登りになりそうーーー。
速度無制限のアウトバーンを突っ走り、目的地へ。頂上へは1時間半。急な登山にはちょうどいい距離だ。僕は例によって革靴のまま登山。簡単な防寒コートだけはお言葉に甘えて貸していただく。これは先日、別子山に上ったときを思い出す。しかし僕は、山本さんたちの心配をよそに、いつも通り気軽に登りだす。途中の花々には、松虫草や桔梗やリンドウなどがまだ咲いていて、別子山の花々をまた思う。
頂上では、山本さんの手作りおにぎり。雑穀も混じっていて海苔でくるんでいただいたが、本当にとてもおいしかった。お借りした防寒コートは役立ってくれ、感謝。この頂上に立つキリスト像に刺激され、いろんなことに思いを馳せながら、僕の人生もやがてこのような終結を迎えるのか、と考える。理解されない者同士の寂しさ。乗り越えるしかない。(笑い)
それはともかく、帰りは途中から、僕に別の道を選ばせてもらい、約15分ほどの絶景と言ってもいい眺めのロープウエイに乗って下山。山本さんと松尾さんとも途中いろんな話が出来たこともよかった。約4時間くらいの登山だったが、普通の革靴で恐らく軽々と歩いていた僕だろうが、翌朝、体はどうなってるか楽しみーーー。
ここで話しておきたいことが。
この町のドイツ人たちの生活の様子や、喜びや悲しみなどを、日本に住んでいるものが考えることは殆どないだろうし、その逆もあるまい。そんな余裕など誰にだってあまりないだろう。しかし現実に、ドイツでは夜中の2時(日本は朝の10時)であるこんなときにも、様々なたつきが日本で世界各地で繰り広げられている。しかし、もし。もし私たちが、世界各地のたつきを折に触れ想像しながら生きていれば、もう少し気持ちに余裕ができるのではないだろうか?人間は自分たちの周りの小さなことばかりに振り回されるようになって、かえって窮屈になってしまってるように思えてくる。
さて、下山するとオーバーアマガウというさらに小さな町を見物。木彫で知られている町だが、376年前から10年に一度キリスト受難劇をやっていて、今年もその年で見物できるのだが、おとなしく町を見て回るだけに。しかし会場の裏側で常設してある、歴代の俳優の写真展だけは少しゆっくり見せてもらった。なかなかいい顔の俳優もいて興味をそそられたので一応前回の公演のDVDを買っておいた。そして私たちもそろそろ帰ろうとしていた頃、ちょうど受難劇が終わって何千人もの人々が会場から流れ出してきた。
皆さん割りに満たされ顔をしていらっしゃる。満足されたのだろうーーー。
ところで今回の小旅行の様子を山本さんが写真を取りまくってくださっていたので、写真集をメールで送ってくださることになっており、この紀行文を読まれる時、それらの写真を見てくれると面白いと思う。
さてWRHにアウトバーンを飛ばして戻ってきて、まずはWRH近くのお勧めのレストランで夕食。僕だけはビールを飲みながらで申し訳ないが、彼らがお勧めのカツ料理をいただく。そして話はどんどん弾む。夕暮れの景色のまたいいことーーー。
そして山本さん宅にまず寄って変換プラグをお借りして、宿に送っていただく。
そのおかげで何とかこの紀行文を書き続けられているので読者も感謝を。でないと、こんな詳細なところまで紀行文を書くことは出来なかっただろう。
それから、宿舎まで送ってもらって、さらに3人で会議。松尾さんが山本さんに、僕の代わりにWRHといろいろ交渉するよう薦められ、山本さんももちろんその気で、KLEMENTさんと月曜に再度交渉してくださることに。日本各地の皆をまた思い出しながら、おやすみなさい。
さて、何度か寝たり起きたりを繰り返し、はっと気づくと9時半。部屋の外には朝食がおいてあり、いただきながら今日の行動を考える。もう一度フィガロを国立劇場で見に行き再評価するか?ここでぼやっと休養するか?RHに今日中に行っておくか?
そんなことを考えながら、この紀行文を書き続ける。
結局、終日WRHで3時間程度の散歩したりして過ごす。お金もかからないでゆったりと過ごせた。そもそも、この宿からパソコンを何時間も借りられたのが大きい。大きなホテルだと恐らくかなりのお金が必要になったことだろう。ここは、日本で言う民宿のようなもので、一部屋がゆったりと大きいだけだ。
ふらりとお散歩に出る。まずはおそらくカテドラルと呼ばれる町一番の教会に入ってみる。写真も撮ってみた。続いてWRHを見渡せる丘に登ることが出来て、緑の木々がとても美しく、ついシューマンやシューベルトの緑のドイツ歌曲、そして僕の曲を口づさんだ。それに町の風景がとても気持ちよかったので写真に撮ろうとしたが「メモリーに余裕がなくなったので今まで溜めた写真の削除を」、ということだが、削除してもこのモバイルは納得してくれず写真は追加できなかった。そのあとも鐘が何度もなるので、ミサにおいでという意味かと、さっきのカテドラルに戻るといつの間にかたくさんの人がミサに参列に来ていて、この辺もやはりカトリックの町なのだな、と実感。WRHの人々は一般に紳士淑女に見える。南欧とはやはり、はっきりと違いを感じる。それから神父さんの言葉が分かりやすくて不思議だったし、今はテレビのスパイ映画を見ながら書いてるが、だんだんドイツ語が分かるようになってきた。面白いもので、僕のドイツ語が少し戻ってきたようだ。
それはともかく、ここに来て感じたのだが、南欧の人々は、人生は楽しむためにある。ドイツ人は、プライドなくして人生はない。では日本人は?恥を忘れて生きられるものか。というところか?今の日本人は?それこそ恥を知れ、と言う方がふさわしいこともあるが。
しかし、ここはドイツ。しかも人口1万人余りの小さな町の、さらに静かなところの宿舎に僕は一人静かに流れ行く時を過ごしている。僕は何人なのか?地球人?もちろん。しかし人間という生き物になってるらしい。それにしても何だ、この世界の様子は?何か複雑すぎる。そしてこれ程まで人間は威張り散らしている。小さな生き物の筈の人間は何を驕るのか?生かされている命なのだ。と百億回も叫びたい。
地球は大きすぎる。そしてまた宇宙を考えればあまりに小さい。
ドイツ公演?別にどうなっても僕の人生に大きな影響を与えるものでもあるまい。どうなってもいいのだ。ゆったりゆっくり死を迎えたい。それまで、自由にやりたいことをやってゆこう、それでいいのだ。人々を幸せにする、という幻想もそろそろ終わりにして、ただ生きていたい。そしていつしか、人に悲しまれることもないようそっとこの世界を去ってゆきたいものだがーー。嘘?冗談?
さあ、今日は山本さんとKlementさんと三者で、再度今から話し合うつもりで、山本さんからの連絡を待っている。朝9時。日本は午後4時。やはり7時間の時差らしい。
テレビでドイツのニュースを見ながら書いているが、東西ドイツが一緒になって今年が20周年。ドイツ人にとってはどんなに感慨深いことだろう?それでも残るこの経済不安ーーー、何を物語るか?人間はやはり愚かな存在で、また欲を膨らませ、さらなる失敗を繰り返すだけ。そんな生き物でしかない、ということを物語るだけだろう。
それにしても、民主主義の終末を誰も何故唱えないのだろう?現在、民主主義の形をとって何がよくなったか?愚かな人間が、自信たっぷりに愚かな考えを言い合ってるだけ。大所高所にたっての判断が出来る人を押しのけ、目先の利欲をちらつかせるマスコミや企業、宗教に振り回されるだけ。そんな愚かな現代になってることを喜んでいるのは誰か?サタン、とでも答えたいところだが、人のこころに潜むサタン、と呼んでおこう。こうして神を見失ってゆく現代に、無駄だろうと知りつつ、僕はどんな抵抗をしようと?
ここまで書いたところで、山本さんからの伝言があり、11時15分にKlementさんの事務所で待ち合わせることに。宿賃は3夜で200ユーロ近くになると思っていたら、3夜連続なので150ユーロでいい、と言ってくださり、チップ代わりに10ユーロをプラスして差し上げた。やはり、以心伝心、これが人間同士を結び付けられる。希望を捨てずに、こういう友情を持続させる情熱を持ち続けられるよう、人々、社会を鼓舞し続けたい。パソコンをまた貸してくださったので、ドイツ関係者とのメール作業に移る。
さて、宿主のご夫妻が市役所まで送ってくださり、熱い抱擁で別れる。
車で送っもらった為、早く着きすぎてKlementさんらを事務所で逆に待つ。Gleisさんというお産で休養に入っていた上司?の女性も現れ、山本さんも来てくださり、再度諸事情を話し合う。双方の意見調節に山本さんにドイツ語で話してもらい、僕はだいたいの内容を分かりながらも、後で山本さんが要約してくださる、という形だった。やはりこの方が楽だ。
そしてまたしても、忘れ物。このモバイルを宿に置き忘れた僕をKlementさんが宿に連れて行ってくれ、再度ご主人たちと立ち話をしたあと、駅まで送ってくれて、Auf
Wiedersehn! 彼女の精一杯作る笑顔がいとおしい。
しかし、列車は13時6分発なので後20分くらいある。それでお昼ご飯のつもりで、何と駅にあるマックに入ってしまい、野菜100%のハンバーグとコーヒーを食べ、まだ時間がありそうなので、アイスクリームも再度注文。支払いは面倒なので小銭を店員に見せ、おまかせで取ってもらう。
そして、列車を待つが遅れること25分。乗り換え駅のミュンヘン東駅へはその分遅れて到着。乗車予定の列車は発車してしまってるに違いない、と思ったらその乗るべき列車は1時間遅れると表示。仕方ないと思ったが、表示をさらに見ていると、また別の列車が遅れて到着とのこと、信じてそれに乗り込む。
よかった。4時に ベルべリッチさんにホテルに来てもらうことにしていたので、無事時間通りに会えそうだ。日本はもう夜の10時37分ーー。日本の皆さんはまだ起きていらっしゃるでしょうね。お互い頑張りましょう!それとも、もう休みますか?
まず、ベルべリッチさんにホテルで30分話し合い。それから現地でドイツ人と結婚している福村さんという女性を紹介してもらって、彼女が日本語を教えている学校に行って、すべての事情を話し相談する。彼女はKenederさんと親しいようなので、RH側の様子や考えをもう一度聞いてみてもらうことに。これからはメールでやりとりすることにした。
その後も、僕はやることがないので、散歩しながスーパーで夜食を買うか、安いレストランで夕食でも、と思ってるうちに、Kenederさんたちに案内された、例の市川市への派遣団の団長をしているToniさんのレストランの前に着いた。そこで多少の出費は覚悟して入り彼を呼んでもらった。さすが経営者で相談ごとも明快、まずはお金のこと。彼らは音楽家たちと50名のチームを組んで来年10月23日から11月7日まで来日予定。それなら、本番時の滞在費だけはこちらが持つからと、日本でも共演しないかともちかけた。食事の他にワインを何杯も飲んだが、ワインは彼のおごりにしてくださった。彼が紹介されたのが、石井学さん。石井さんは両市との通訳も兼ねられとても親しくしていらっしゃる様子で、石井さんとドイツ人の写真家が作った、日本とはどんな国かを紹介する興味深い本を見せてくださった。以下、写真に記された面白い言葉を書いておく。
世の中は三日見ぬ間の桜かな
築城三年、落城三日
水は方円の器にしたがう
木を見て森を見ず
笑う門には福来たる
散るは桜 薫は梅
以上、日本人はどう感じるのだろう?ドイツで見つけたこれらの日本の心ーーー。如何ですか?
さて、ホテルに戻り、今日の戦いの結果を総括。
孤独ーーーを感じる。これでいいのだがーーー。
今は日本は朝の五時半、みんなまだ起きていないかな?僕はそろそろ寝てみる。どうせ何度も起きることになるのだろうが。おやすみ、日本に眠る隣人たちよ。
今は日本の朝11時過ぎ。こちらはまだ夜明け前の4時過ぎ。外も暗く、電気もつけず真っ暗な部屋で静かに考えている。
僕はドイツに来て何をしてるんだろう?
ドイツ公演は、こうまでして達成しないといけない事業なんだろうか?
こんなオペラによる国際交流は恐らく他の人には難しく、お金と暇と情熱が有り余っている人しか出来ないのかも知れない。もちろん僕には情熱しかない。それも、世界を歌で結び付けたい、という素朴な願いだけ。何故そうしたいのか?そんなに大切なことなのか?名誉心?そんなものはとっくに捨てたはず。では、なにゆえこんなことをしているのだろう?
楽しいから。おそらくそうかも知れない。楽しいからやっているのだ。歌を演技を教えて一緒に舞台を作ってゆくのが楽しい、それだけ。
よくマスコミから、何故そんな大変なことをなさっているのですか?と尋ねられたら、楽しいからです、と答えていた自分は正しかったのだ。福岡正信さんからも、貴方は何故オペラをするのですか?と尋ねられ、楽しいからです、と答えたのを思い出す。
人は、こうして僕のように楽しいと思うことをしていればいいのだろう。何か無理やり理由をつけて『大変な人生』にしてしまっているのだ。
僕もあと何年か生かして頂く間、楽しく生きてゆきたい。そして今、人を幸せに出来ることほど楽しいことはないことに気づいて幸せだ。この幸せを多くの人と分かち合いたい。押し付けることはないが、希望者にはどんどん伝えてみたい。周りが元気で楽しくいてくれたら自分も楽しい。
こんな分かりきったことをドイツでいまさら考え直している自分もまた面白い。
さあ、また一眠りするか。日本で今も頑張って働いている皆さん、楽しく生きていましょう。
今はモスクワへの機内。
今朝は8時頃ちょうどまた目覚めて、無事予定の列車に乗りミュンヘンへ。ワインを3本も詰め込んだバッグに、もう一つの使い古したハードカヴァーの重いケース、を抱え日本総領事館へ。
だいたいの場所が分かっていたのでタクシーを倹約して10分余り歩く。国立歌劇場の少し先だ。
首席領事の舟木良恵さんと、鈴木さんの代わりにウィーンからいらっしゃった副領事の山田翼さんが対応。すべての事情をだいたい話した。今回の話は国際交流にはとてもいい企画だと思います、との言葉を得る。
この一ヶ月、山田さんから返事がなかったと、内心不快な気持ちもあったのでさりげなく確かめると、何と2週間か3週間前にちゃんと返信していたそうだ。帰ってからチェックするが、決めつけないで柔らかく話してよかった。それにしても当会の事務メールが溢れ過ぎて、見落とすことも、迷惑メールに入ることもいろいろあるので、別のメールボックスを作ろうというスタッフの話をよく聞いていい形を作ろう。
また山本さんも言っていたが、ミュンヘンの日本人会コーラス(女性20名、男性10名くらいらしい)もあるとのこと。そこで、参加しないだろうか、と持ちかけると可能性がありそうで、楽譜が一冊残してあったので置いてくる。
こうなると、また可能性が広がる。ミュンヘンでも一度公演できないだろうか?彼らにWHRとRHにも出演してもらえるかも知れない。
日本に帰ってから、日本人たちとドイツ人たちにそれぞれ丁寧な礼状を書いておこう。
総領事館から駅に向かう途中、迷ったがドイツ民謡のCDを2種類買っておいた。
1時間前にチェックインできたのだが、検査で手間取った上、やっと入れると思ったら、ワインがひっかかってしまった。機内持込が出来なかったのだ。赤、白、ロゼと3種類揃えて買っておいたのに、ここで捨てなくてはならなくなった。入国審査に手間取らなければ、再度荷物を出しに行ったのだけれど時間切れ。日本のみんなとドイツワインパーティーをと考えていたのに、皆さん残念でした。(実は安いワインをRH駅で買ったもので値段は言わぬが花)
もう少しでモスクワに着くようだ。今度は待ち時間が一時間余りなので、何か日本が近づいた感じがする。しかし、土産も土産話もーーー?お許しを。
しかし、モスクワ空港で、またちょっといたずら心が動いてしまったようだ。内緒。
ただ、一度は使って見たいと買っておいた、先払いのテレフォンカードで日本に電話してみたかったが、プッシュ音信号が出る公衆電話をどこにいても見つけられず、使えなかったことが少し残念。日本からドイツへの電話で使ってみるか。
それでは、モスクワを離陸。いざ、日本へ帰ろう。
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