こんなに嬉しいスタートを切ることが出来、皆様のお一人お一人に深く感謝申し上げます。
考えてみればあっという間の短い練習期間でしたが、構想から5年、この実行委員会の立ち上げから1年。感無量です。

ーーー思いつくままにメッセージを書かせていただきます。
大橋先生:
まっすぐに一本気なお人柄を慕い全員が付いてゆきました。「橋にい」、がいなければ何も進まなかった訳ですから、何と言っても一番の貢献者です。本当にありがとうございました。そしてご苦労様でした。こんな中、峩山という大役には苦労もされたかと思いますが、見事に楽しく、奥深く演じてくださり、よかったです。きっと山のように疲れが溜まっていらっしゃることでしょう。子供たちにもっと背中に乗るよう言っておきましょうか?再演の際は、もっと歌いやすい前奏や伴奏を考えます。オペラプラザ愛媛の後援会長にご就任頂いたことも、ここにご報告いたします。
浜田嘉生:
何十年かぶりの再会だったのですが、信じていた通り歌や演技にさらに磨きがかかり、この大変な主役をよくぞ見事に歌い演じてくださいました。やや貫禄がついてしまったかも知れませんが、ご本人のお人柄がとても親しみやすく、周りの共演者もとても喜んでいました。最後の詩吟は特に見事で、私も指揮棒を置きほれぼれと聞いていました。こんどは山口でやりましょうか?
山本幸雄:
一昨年の「忘れられた少年」松山公演でヴァリニャーノ神父役を歌っていただいたのが御縁で、今回もお呼びしました。子供とも自然にじゃれ合って歌い演じておられた姿がいいですね。ご自身でも子供ミュージカルをなさっていらっしゃるとか、お体を大切に楽しんでください。
國元隆生:
実は「忘れられた少年」を西日本で公演するときは、伊東マンショ役でいつも出ていただいていました。旅人のような役どころは今まであまりなかったかも知れませんが、山本さん同様、子供たちとどんどん仲良くなってゆかれる姿はとてもいいものでした。
大 地:
この大役をここまで演じきってくれてホッとしています。生来の資質をこれからこうしてどんどん伸ばしていってくれることを大いに期待しています。
蔵田雅之:
いやー、さすがにお見事。3月東京であったオペラ「マタイ受難曲」で初めて出ていただいたのですが、今回も是非にとお迎えしました。大橋先生からも「蔵にい」と呼ばれても、まったく何の違和感もなく楽しんでいらっしゃいましたね。そういえば、初日は役員役で出ていただいたのですが、これまた見事にコミックに演じてくださり、指揮台で笑いそうになってしまいました。まさに歌役者、ですね。今度は「フィガロの結婚」のバジリオ役でもお願いしたいものです。
長野由記子:
安定した歌唱力と演技力、お見事でした。それに加えて、まさにのびやかでいいお人柄。四国で何か公演するときは、是非よろしくお願いします。ホルンでご参加くださった長野剛士さんはご主人です。ご夫婦での共演になりましたね。
石多加代子:
いつもながら、衣装、小道具、大道具、それらのトラック輸送、そして演出助手まで。本人曰く「妻の鏡餅」だそうです。笑ってやってください。そして、あの歌唱。歌い出しで多少油断したところもありましたが、おおむね力を発揮してくれ、やはりホッとしています。
奥村泰憲:
私が伊庭を歌う関係で、優秀な指揮者をと思っていましたら、ウィーンから帰国したばかりの奥村君と出会いました。蔵田さん同様、三月のマタイ受難曲で初めて出て頂いたのですが、素晴らしい声に加えて、若者らしいやる気満々のまっすぐな姿勢。楽しみで、東京でも指導を手伝ってもらっています。指揮者席で見せた若気の至り、の部分は伊庭の言葉を思い出してください。
秦美智世:
研修生として5年。オペラプラザ愛媛の事務局長をしながら、私がいない時の練習指導、そして本番でもみんなをあれだけ引っ張って頑張ってくれていました。美代子ちゃんもみんなのアイドルとなっていましたね。みんなで助け合いながら励まし合いながら舞台を作ってゆく、という当会の姿勢の象徴的存在でした。森の精役としても、本当に頑張っていました。
吉井美幸:
やはり研修生として教えだし3年近くになります。実行委員としても、裏のいろいろな作業もみんなの手足となって活躍していました。歌も演技もまだまだですが、松として適役ではあるので、これから徹底的に鍛え直したいです。
西田直人:
実行委員会の事務局長として私が推薦したのですが、本当によくやってくれました。大橋先生の次の功労者と言ってもいいでしょう。ニ〜三か月前から研修生としても教えだしましたが、本来のいい声をしっかり生かせるよう、ダイエットとともに呼吸の訓練を徹底的にしてゆこうと思っています。それはともかく、心無い苦言にも窓口となってひたすら耐え続けた姿は忘れられません。
後田翔平:
立派なしっかりとした声で、安心して聞いていられました。台詞から歌に移行するときにも落差が少なくなってきましたし、演技もだんだん工夫が見られ面白く共演していました。和製オペラにはまだ慣れていなかったかも知れませんが、これからは世界をどんどん広げ、いろんな意味で大きく成長してください。楽しみにしています。
越智大之:
滑舌も少し改良され、演技もかなり楽しめるようになっていましたね。歌うときにテンションが下がらないようにし、これからはしっかり体を開け続けることを目指そう。どこか愛されるべきいい人柄だと思うので、次回はさらに自分を鍛え上げ、皆にさらに愛される長兵衛を作りましょう。
西田景子:
練習伴奏に専心せざるを得ない時も多く、歌手としては充分な練習をさせてあげられなかったことが少し悔やまれますが、あの難しい隆子の歌をよく頑張りました。それにしても賀奏ちゃんのお母さんでもあり、お父さんの直人さんとも共演。こんな素晴らしいことはないですね。体をほぐしてあげたくなるので、疲れがうまく取れるよう願っています。今度は秦さん以外にも伴奏者をもう一人置こうね。
兵藤好美:
オペラプラザ愛媛の事務局次長として、主に中予や南予で活躍してもらっています。同じく隆子を歌ってもらいましたが、死んでゆく伊庭の傍で「お父様!」と絶叫するところは、私の耳元でしたので、ぐっと来ました。もとより安定した歌唱力を持っているので、これからはより内面的な歌や、おおきな広がりを持った歌にも挑戦しましょう。
大條雅久:
大きく響くお声はさすがお見事でした。日本のますらお、と歌われるところもだんだん音程がピタッとしてきて、面白く楽しませていただいていました。その上、伊庭の和服の着付けまでお願いしてしまい、恐縮しています。これからもーーー??
河野義隆:
柔らかく温かいお人柄をみんな慕っていましたね。小川冶兵衛のイメージとしてもよかったです。お声もきちんと届いていたと感じました。何しろ、別子銅山については大変なスペシャリストで私もたくさんのことをご教示いただきました。これからも、どうぞご指導ください。
青木芳弘:
大島役、緊張しただろうけど、頑張ってやってくれました。おそらく生真面目な性格から来るのだろうけど、喉と体を開放し続けられたら、どんなによくなるか楽しみでなりません。せっかくのよく響く声を思い切り伸ばしましょう。
小林泉:
「魔法の笛と鈴」の猿役から始まって、もう5年。本人の成長ぶりを具に見て来て、これからどう育てようか、いろいろ考えているところです。若者には、自分をしっかり鍛えろ、とつい言いたくなるのですが、すでに本人なりに精いっぱい頑張っていることがわかりますから、彼らの可能性をどう引き出せるか、ただ指導者の責任、といつも思っています。泉が更なる成長を成し遂げられるよう、私も全力を傾注します。
守谷幸称:
泉と同じく耕之助に挑戦させました。幸称がどんなに努力しているかが、練習で痛いほど伝わってきていました。彼女も、これからがすべてです。まだまだスタートライン、この歌劇と同じです。どう成長し、成長させるかは、本人と指導者の関係です。私も気を引き締め直して若者たちと向かい合おうと思っています。ご期待ください。
福本美喜和:
今回は伊庭の心の声にチャレンジしていただきました。はじめはどう動いていいかなど、困られていたと分かっていたのですが、景子さんなど周りとなじみながらだんだん解放されてゆかれるお姿が愛おしいほどでした。アザレアの優しい優しいオネエサマ方にくれぐれもよろしく。80歳になられたかという元の指導の先生のお美しい姿も忘れられません。私には本音しかないことをお分かりかと思いますが、世辞を言っているのではありません。
この頃よく思うのですが、素敵に年を重ねていらっしゃる方の表情は本当に美しいですね。
化粧を頑張っていらっしゃる若い女性やご婦人より、ずっと美しく感じます。
廣田修:
住友友純役として呼びました。オペラプラザ長崎ですが、舞台道具のデザインと図面を担当してもらい、舞台でも舞台転換主任をしていただきました。今や、当会の舞台担当主任ですが、新居浜での練習にもっと参加してもらえたらよかったですね。歌と演技は、友純らしさを出してくれると期待していたので、期待通りでよかった。
岩永一也:
同じくオペラプラザ長崎から品川彌二郎役で呼びました。ご覧の通りの恵まれたものを持っているのですが、声を飲み込んでしまうところが課題なので、次回皆さんとお会いするときは見違えた?声をお楽しみに。芝居好きはあの通りで、皆さんも笑って楽しんでやってください。
藤田百々笑と星川雛:
彌二郎の娘役をわざと二人でさせてみたのですが、手紙を取り合いながら実に面白くやっていましたね。さすがこの二人です。声もよく伸びていました。
大島阿子:
ややおませな娘に見えましたが、泉や幸称を追いかける筆頭になりそうで楽しみです。これからの成長をどうぞゆっくり見守ってあげてください。
越智睦美:
田鶴子にチャレンジしてもらいました。この役の難しさ、面白さは、おそらく作家にしかわかっていないのかも知れませんが、お客様にはどのように映っていたのかお聞きしたいですね。また、おんな、での大活躍は最高でした。女性が集まるとおそらくこうなっているのだろうと、何度笑い出したくなったか。誰が台本を書いたのかな?
灘ゆかり:
灘さんの演技もすごかったですね。舞台での集中力も目を見張るものがありました。普段の控えめなお人柄もあって、舞台での弾けようは、まさに役者、でした。越智さんも灘さんも裏での大変なご協力、本当にありがとうございました。
宇都宮彩那:
三崎からいつも四時間かけ兵藤さんと練習に来ていました。甘えん坊は仕方ないとして、あの小さな体であれだけ大きな声を頑張って出しました。
西田賀奏子:
生れたころから知っているのですが、ここまで成長したか、天晴じゃ!というのは大げさですが、そんな親心に似たものを抱いています。やるときはやる!これが賀奏ちゃんのいいところだね。
藤田亜矢子:
幾子にチャレンジしてもらいました。ソロらしい役をしたのは初めてに近いのですが、しっかりやってくれ嬉しかったです。これからは娘の百々笑とともにもっともっと弾けていいからね。
小林恵美:
オペラプラザ愛媛の東予支所長を任せています。今回は西田直人さんの補佐として、実行委員に入るよう頼みました。ざっくばらんなお人柄は天下一品で、血液型がとても?型とは思えないのですが、もちろん内面はデリケート極まりないものを秘めていらっしゃるのでしょう。幾子として伊庭の体を支えてもらい、間近で声をかけられているときは何だか不思議な実感を伴い、周りの泣き声もそのまま受け止めている伊庭がいました。そういえば、女の役では徳島弁が抜けず、みんなを楽しませてくれてありがとう。ありがとう、とみんなも笑いながら思っているよ、きっと。
大島佳子:
阿子のお母様ですが、敏子をしてもらいました。彼女も大阪からなのですが、なんと大阪弁を舞台では感じさせませんでしたね、面白いものです。それより、和服姿の何とぴったりしていたことか。皆さんも見とれていたことでしょう。明治な気丈夫な女をも彷彿とさせるものがありました。
近藤由喜子:
実行委員として大変な活躍をなさっていたと聞いています。相当の濃いキャラクターで、ある時はバイク姉さんになったり、面白い車を乗り回したり、練習中から実に輝いていらっしゃいました。演技でもひとつの花のセリフに固執していらっしゃいましたが、これも一つの楽しい個性。自分の希望をはっきり主張なさるのも元気な証拠です。舞台に立つその役者の人柄をお客は感じるものですが、彼女をそのまま受け取ってくださったでしょう。しかし敏子としても、その役どころをキチンと押さえていらっしゃったのはさすがです。
岡正広:
今回、練習の段階で一番成長を感じたお一人です。42歳だそうですが、まさにこれからの成長株、楽しみでなりません。誠実な性格も持ちながら、従業員や鉱夫の演技を極めていく姿は皆にもいい刺激になっていったのではないでしょうか?歌もこれからしっかり頑張りましょう。
山地安幸:
耕之助のお父さん、厳君に挑んでいただきました。厳しいかもしれない私の注文にも精いっぱい応えて頑張ってくださいました。一般に高齢になると、人はどんどん頑固に偏狭になりがちですが、少し先輩であっても文句ひとつ言わず、皆を温かく見守りながら練習に励んでくださり嬉しかったです。伊庭の精神を汲むべく精進を積まれていたのでしょうか?
加藤正志:
西条総合文化会館での「魔法の笛と鈴」に泉たちとともに参加されてからもう5年。加藤さんも一皮ずつ剥けてくるのがわかり、とても嬉しいです。これからもう一皮剥いてみませんか?
今村喜美:
女や花で大活躍してくれました。裏でもいろいろ気を利かせてくださりありがとうございました。人間、秘すれば花、ですね。これからは、発声に磨きをかけ、多くの人を幸せに出来る歌役者目指して、みんなとともに頑張りましょう。
八木沙友里:
辛いプレッシャーをはねのけて頑張ったね。よくやりました。
山内葉子:
女の台詞を聞いていてもしかして、大和撫子?と思わせる時もありました。きっとそうですね、疑ってなんかいません。そうに決まっています。それに何と言っても発声が比較的安定しているので、いつも安心していました。貴重なメゾですね。
坂田直子:
オペラプラザ長崎からいつもながら衣装担当で来てもらいました。フサちゃん役も子供のようで面白かったです。衣装のみならず、石多加代子の助手としても、実に大変な作業を引き受けてくれています。皆さんは、東京オペラ協会から借りた百着もの衣装の後片づけ、どんなものか長崎に体験に来ませんか?それは楽しいよ。
原田恭子:
オペラプラザ福岡の事務局も担当してもらっているのですが、歌劇「天空の町」福岡公演をにらみ、合宿に続いて本番にも参加してもらいました。歌も演技もある程度出来るようになってきたのですが、まだまだ甘いのでこれからいろいろ鍛え直してゆきたいと思っています。そういえば、彼女には今まで衣装を何着も作ってもらったのですが、今回もエプロンを21着も縫ってくれたそうです。その手際のいいこと、お見事。
八木詩織:
同じくオペラプラザ福岡から来た高校生です。ちょっと台詞も言ってもらいましたが、皆さんも快く受け止めてくださりありがとうございました。
加川えり子:
オペラプラザ京都で高校生の時から教えてきたのですが、練習、合宿、本番、と三度皆さんの前に現れました。歌のオネエサン、として仕事もしているので、ある程度のことは出来ていて、精などにはぴったりしているかと思って呼びました。皆さん、親しくしてくださってありがとうございます。
東京の恵理子:
本来ソプラノなのですが、下がしっかり出せるのでアルトの補強で来てもらいました。合宿から二度目のお目見えですね。やはりオペラプラザ京都で教えていました。
中村芳子:
オペラプラザ長崎だったのですが、石多加代子を指導者に今は八女市で「さくら座」を立ち上げて頑張っています。大和撫子のような存在感ぶりは、お分かりの通りです。
湊真帆:
東京からも、次の東京プレゼン公演を視野に、お手伝いとアルトの補強に事務局長が来てくれました。また、伊庭を白髪頭にしてくれたのは彼女です。
エドワード:
みんなのおかげで伊庭の大役を何とか務めさせていただきました。周りにはプロンプをさせてしまい恐縮しています。怖かった?面白かった?はい、反省しきりです。

貞剛の子供役や動物役で活躍した子どもたちはやりましたね。大舞台で緊張もせず、あの弾けようはなんでしょう?出口光規君の大活躍は周知のとおりですが、弟の出口友行も甘えん坊ながら頑張ったし、(楽しんだし?)二宮三兄弟の翼・昴・光もどんどん自由になってくるし、斉藤瑠衣と大島彩華も遊ぶだけから演技をしっかり始めたり、松山からの松島ルカス・ニコラス・エルナンの3兄弟もさっと溶け込んで弾けていましたね。
子どもの可能性を信じ続ける私としては、やっぱりこうなったか、という気持ちですが、大人は子供の天真爛漫さを抱いたまま、人の心の機微をも優しく抱いた演技と歌を目指しましょう。私は大人の可能性も信じてこのような活動をしているのですから。
優しいアザレアのお姉さま方お一人ずつのお名前を覚えることは出来ませんでしたが、ご容赦ください。練習の中で皆さんの本性がだんだん発揮されてくるのをこわごわ、いえ楽しんでみておりました。皆さん、可愛いですね。これは半分冗談、半分ね。
オーケストラでは、地元の西岡史絵さんにコンサートミストレス(コンミス)になっていただいたほか、セカンドヴァイオリンのトップに出口兄弟のお母様あけみさんにオケ編曲を含め頑張っていただきました。オペラプラザ岡山からもですが、クラリネットの熱田昭夫さんは欧州でも活躍されているそうですが、岡山近辺から仲間をたくさん連れて来てくださいました。福岡からも廣末真也ほか四人が来てくれました。そして、東京オペラ協会管弦楽団からもトランペットの小嶋洋一さんと、クラリネットの阿部亜紀さんが、やはり東京公演を睨んで来てくれました。
今回ピアノ伴奏への編曲には、二橋潤一、高橋千秋、石井美栄子さんなどにお世話になりました。オーケストラへの編曲は、一部はスペインの作曲家イニゴ・カサリ氏、大部分は若い矢向志野さんによるものです。矢向さんは新居浜の初演にも来てくれたのですが、東京公演に向け再度、オケ編曲に燃えてくれています。さらに秦さんと吉井さんには、楽譜づくりに相当な労力を払わせてしまいました。西田直人さんにも協力してもらいました。

舞台では、舞台監督の谷亨親君が頑張ってくれました。照明の角藤君とは打ち合わせが行き届かず、残念なところが散見されました。私が自分で撮ってきた別子山の映像も不満足ですが、また別子山に登って(もう何十回と通って馴染みのルートです)再度チャレンジして取り直すつもりです。
音響の塩崎務さんとは行き違いもありましたが、26日の終演後、私と交わした硬い握手ですべての気持ちが通じ合ったように思います。あれだけ練習に日参され、出来るだけの努力をしてくださいました。本当にご苦労様でした。
小野尚山:
私のお願いが、最初行き違って届いていたそうで、じっくり書いていただく日にちもなく大変なご迷惑をおかけしましたが、東京公演にもあの見事な書をお貸しくださることになり、本当に感謝申し上げます。東京では書の背景をきれいにして飾らせていただきます。
谷野しずか:
舞台画像を描いてくれました。若いのに台本の内容をよく掴んで描いてくれたのでとても喜んでいます。これからも使わせてもらいます。
あをやまめぐみ:
東京で衣装のデザインを考えてくださった方です。文化学園大学に勤めていらっしゃいますが、学生たちにもお声をかけてくださり、今後も楽しくご一緒できるよう期待しています。
源代美保:
この方がいなかったら衣装は大変なことになったに違いありません。どんなに感謝してもしきれないくらいです。本当にありとあらゆる衣装を作ってくださって、感謝あるのみです。
黒河喜代美:
吉井美幸のお姉さまだと後日知らされ、みんなびっくりしましたが、ユニークなデザインに興味を持ちました。もう少し改良すると、斬新な思い切った衣装デザインとして光るものがあるように思います。
二宮兄弟のおばあ様:
紗幕の縫製は本当に大変だったことでしょう。難しい作業を快く引き受けてくださり、恐縮しております。有難うございました。
衣装:
衣装では、他に名古屋学芸大学の学生が面白いものをデザインしてくれたので、使わせてもらったものもあります。それにしても今回の衣装は、出演者も関係者も東京オペラ協会もオペラプラザ愛媛も、みんなで手伝って作り上げた衣装です。まだまだ私の理想には届いていませんが、方向ははっきり見えているので、これから改良を重ねて最高のものにしてゆきたいと思います。
舞台装置:
これも大変でしたね。理想と現実のギャップに少々苦汁を舐めていますが、しっかりとした足場はこれからもどんどん使って、それに被せるものを工夫し、照明や映像との関係を練り直し、東京でお見せしようと思っています。
舞台全般:
いつか皆さんにお話ししましたように、この規模のオペラでは何十人というプロのスタッフが監督のもと動いてゆくのですが、今回は皆さんと泥まみれになりながら作ってゆく道を選びました。当然、試行錯誤や失敗も伴うのですが、それも皆さんで乗り越える楽しさも感じてほしかったのでチャレンジしました。オペラ界の常識では、私一人がすべてを監督するのは危険極まりないのでしょうが、皆さんお一人お一人との連携を考えながら舞台を作ってゆくことに、より大きな意義を感じていました。予算が厳しいとわかって、皆さんとともに、東京オペラ協会も、オペラプラザ愛媛も、無駄なお金を使わないようみんなで努力し合ったことは忘れられません。

別子銅山せっとう節保存会:
お招きで来て本当に良かったです。河野義隆先生のご紹介でしたが、どんどん要領よくなってきてくださり、また歌のお姉さまの見事なお声、オペラ歌手もドキッとしました。これからも是非ご協力ください。東京公演にいらっしゃれたら最高ですがーーー。
銅の里伝統芸能保存会:
皆さんには出演していただけなかったことは残念でしたが、扇などもお借りでき助かりました。この次は是非ご出演を、と願っております。
別子山連合会長の和田輝世伸:
和田さんには、今までオペラプラザ愛媛の合宿、5月連休の全国規模の合宿、と大変お世話になった上、しょうがえな踊りの皆さんとの窓口になってくださったり、太鼓などをわざわざ市民センターまで持ってきてくださいました。実は、昨夏には四阪島を船で案内もしていただき、私の素潜りの道楽にも付き合っていただいたこともございます。深謝。
南光院:
また、私の台本の基本プランが生まれたきっかけともなったのが、南光院の御住職であられる妻鳥さんの別子山の花の写真集でしたが、奥さまにもしょうがえな踊りをご指南いただきお世話になりました。

さて、実行委員の皆様に改めてお礼申し上げます。
恐らく大橋先生の号令のもとご参集頂いた方々が多かったでしょうか?本当に本当にご苦労様でした、心から有難うございます。
それはともかく、私は新居浜の皆さんのご期待にお応えしたかったし、私が作り上げたい歌劇をひたすら追求もさせていただきたかったので、両立でき、ただただ感謝申し上げます。私がどんな歌劇を作りたかったかは、まさにご覧になられてお分かりかと思います。音楽に台本にある通りです。それが舞台にどれだけしっかり反映できたか考えると反省点は多々ございますが、それは監督としての私の力が及ばなかったからでございます。
そう言えば「蔵にい」が、「台本の奥深さがわかってくるのはこれから、の人も多いのでは。」と仰っていましたが、それでもいいと思います。
しかしながら、今回の初演で私が目指している、日本の新しい歌劇がどんなものか、それだけはすべての出演者、関係者、お客様に分かっていただけたのではないでしょうか?
新居浜の新しい財産として、この歌劇をご活用くださり、毎年でも生徒や一般市民、観光客招致にお役立て下さると嬉しいです。新居浜市民文化センターの音響はもとからいいので、今度予算が出来ましたら、オケピットを作ってくださるといいですね。
実行委員以外の当日のスタッフの方々の大変なご協力も忘れられません。舞台の仕込みや転換のお手伝いも大いに助かりましたし、着付けや髪結い、メイク、でお手伝いくださった方々にはご挨拶も出来ず申し訳ございませんでした。他にも、お弁当手配やゴミ捨て、受付など、数えだすときりがないかな?皆さん、とてもよくしてくださいました。

パンフレットや終演後の御挨拶でも申し上げましたが、私を愛媛に誘った故福岡正信さんと、伊庭貞剛と別子銅山に導いてくださった故藤田洋子さんに、ずっと感謝し続けることでしょう。
東京オペラ協会では、これから日本各地、世界各地にこの歌劇を巡演すべく準備を始めております。実行委員の皆様、これからもご一緒に歩んでくださいませんか?
いつかお話ししたかもしれませんが、この歌劇は台本・作曲のすべてが私のオリジナルとなる初めての作品です。いわば、私の思いのすべてが現れている、という逃げる言葉もない作品です。責任も感じています。
それから著作権問題では今まで不快な思いもしましたが、この歌劇はどなたでも自由に使っていただけるよう、著作権などは一切放棄してこの作品を世に出したいと考えています。名を残さぬことこそ最高の生き方、かも知れませんね。

余談:
音楽は人を幸せにするために生まれたのだと思いますが、今の音楽界はそうとは限らないようです。音大受験やコンクールで偏った競争心や嫉妬心を煽り立てられるため、音楽家を目指すものは、自分がマスコミに乗って有名になれるか?ギャラが沢山もらえるか?などばかりをつい考えさせられてしまいがちです。音楽家を目指す者は、いい音楽を人々に届けることに純粋に精進したいものです。当会の旗印の一つとなっているユニバーサルデザインオペラが各地に広がって全国でも多様な価値観を共有できるようになり、音楽を気軽に楽しめる環境を取り戻したいと思います。福岡さんが書いた「いろは革命歌」を思い出してくだされば嬉しいです。
そこでもう一度私が目指しているものを明示しておきます。
誰もが楽しめる音楽こそ、最高の音楽です。
ユニバーサルデザインオペラでは、誰をも幸せに出来る公演を願っていますし、
国際交流をオペラですることによって世界中に真の友人を作ってゆけば、その国と戦争などしたくなくなります。こうして世界平和にもお役に立てればと願っているのです。
私は現代のドン・キホーテかも知れませんが、皆さんとこのような事業を進めてゆけることに至上の喜びを感じています。大自然(神)にただただ感謝です。
おっと、忘れているわけではありません。皆さんにも、もちろん感謝、ですよ。
では、近いうち新居浜か、どこかの空のもとでお会いしましょう。
まだ雲の上には還りませんので、よろしくお願いします。
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