エドワード親書 2019年1月号

オペラプラザ岡山 10周年記念公演



まさに試練の公演。よかった。困難な道こそ遣り甲斐のある仕事、ですからね。

人間ですから、思うようにいかないこともあります。だから常にベストを目指してゆきたいのですが、リラックスする時と集中して燃え上がる時と、それぞれバランスをうまくとりながらやってゆけば良いのでしょうが、それが上手くいかないこともあるのが人間、でしょう。

天空の町はユニバーサルデザインを強く意識して作り上げた「日本の歌劇」ですから、ついに10周年で取り組んでもらうことに。しかも大変だろうからと、2年計画で。
やっぱり大変でしたが、公演の最終的な出来はまずまずで関係者も胸をなでおろしているところでしょう。

田辺さんには顎の手術が完治しなかったから、ということで今井勉さんに2幕の伊庭も兼ねてもらうことに。私が演じた伊庭を研究しまくったそうですが、本当によくやってくれました。私以外で初めて演技的には満足できる伊庭だったように思います。僅かの時間でセリフももとどおりに戻して長台詞をお願いしたりもしましたが、見事に覚えきってくれました。
いい意味でのプロ意識ですね。音域としてはもう少し低めの声を設定してあったのですが、とく歌いきってくれました。
あの最後の長台詞、復活してよかったと思います。あの中にこの歌劇の重要なメッセージが籠っていたことは皆も分かっていたでしょうが、セリフを覚えて帰りたいとメモしていかれた方もいらっしゃるようです。
2幕初めの、背が伸びたと言うアドリブは伊庭の性格を超えてしまって今井さんになってしまってたけど、ストーリーを分かりやすくはしましたね。

もう一人、塩野門之助役の福間隆雄さんもよかった。この二人で今回の公演のクオリティーを保ってもらったと言えるかもしれません。
やはり門之助としてビデオを研究し、その上自分でも新たな工夫をして挑んでくるのはさすがに福間さんでした。目立ちたがりの多い岡山の中で、いつもながらの謙虚な姿勢を保ちながら、まっすぐに演技に向かってきてくれる様子は、いつも爽やかで気持ちいいです。声もよく伸びていたし、マサーーー!もよかった。

もう一つ、目だってよくなったことは心の精ですね。愛媛の助っ人二人の貢献が大きいでしょうが、かなり満足できる心の精の歌と踊りになっていました。かなり思い切って歌い踊れるようになったのではないかな。何しろ、心の精の歌う何曲かは、音楽的に最重要なものですから。
皆に心配をかけた宇高賢。何とか歌えて良かったね、と喜ばしてあげたいところですが、やはり体調には気を付けてね。旅人が少年ぽかったのはまあいいとし
て、より心配した1幕の伊庭でも、前日に僕の伊庭をよく見て考えられたからか、すこし気合も入ってやってくれました。危なかったらさっと代わってあげられるよう、私が袖で衣装を着けて待機していましたが、歌いたいだろうと分かってたので歌わせました。
ただ、果て無き旅は、壮大なスケールで歌ってほしかったけど仕方なかったかな。

広瀬千加子の梅子。演技的にはよく研究していました。自ら宣言した通り、来年は音符通りに歌えるよう頑張りましょう。ただ臨終のセリフは舞台奥で少し聞き取りづらかったかもしれません。
それより、これだけの大きな公演をまとめ上げてゆく実力にはただただ頭が下がります。
他からの応援団にも事細かに心遣いをしてくれてアリガトウ。広瀬さんじゃないとこんなことは出来ないと思います。

松の高橋祥子。和服で歌う大変さもあったと思うけど、宇高君とのラブソングも何とか頑張って歌い切ってくれました。指摘している癖を取っていければ、基本的な発声はいいのでもっともっと良くなるよ。

田鶴子の岡崎起恵子。盲導犬のテディーを伴って涙もろいお母さん役をよく演じてくれました。

森の精の薮内彩菜も繊細過ぎるほどの気弱さを持ちながら、頑張って歌い切ったね。本人も満足していたと思います。その上、合唱でも雄路の世話をさり気なくしてくれたり、優しく思いやってくれてて微笑ましかったよ。

峩山和尚の津島一郎。まさに無心で声を出し切ってくれてなかなかの和尚になっていました。

長兵衛の越智大之は愛媛から。やはり成長を感じます。これからも頑張れ!

折元純子のナレーションも、珠のようにきれいな声でよかったです。魔法の飲み物で危ない出演者を応援してくれていました。

子ども合唱も、可愛くて可愛くてーーー。でも、ちょっと形が先行し過ぎていたかな?

指揮の萩原勇一もどんどんこの歌劇の神髄に近づいて来てくれるのを感じていました。来年はオケ譜を全部書き直すそうですが、楽しみでなりません。

オケの皆さん、各地からの出演に来てくれたみんな、お一人ずつの名前はあげませんが、ありがとうございました。皆さんの力で公演が成り立っているのです、感謝。

そう言えば、今回は本番前にイライラしがちなスタッフの姿をあまり見られませんでしたね。それはみっともないことですから、見ないでいられる方がいいのですが、皆さんは物足りなかったかな?



さて来年は全曲に挑戦することになるのでしょうか?
想像しただけで大変さが膨らんで来てしまいそうですが、岡山のメンバーだけでやってゆきたいという広瀬や宇高の願いを大切にしながらも、最高の「天空の町」公演になるよう今回のように各地と手を取り合いながら頑張りましょう。
申し上げた通り、全曲で無駄な部分は一つもありません。都合でやむなくカットせざるを得なくなることがあるだけです。
女たちのセリフは現代との懸け橋。和楽器は日本の心の表現を重要な支え。住友友純は伊庭の人生観のスケールの大きさを。品川弥次郎は伊庭の細やかな心の動揺を。子供たちが絡むところで峩山の謙虚であれという教えが。それらが伏線となり塩野が「去りゆきし友へ」を歌い出すのです。
どうしても復活したい曲は、かしの子の歌、寄る波引く波、旅人、ワンガラナイ、いろは革命歌ですね。殆ど全部か?

伊庭賛歌がこの歌劇の目的でないことは、プロローグとエピローグからしてお判りでしょう。作者は自然体でいることの素晴らしさを、日本からのメッセージとして世界に届けたいらしいのです。
彼の存命中にこの歌劇の評価が広がるとは思っていませんが、広がっても広がらなくても、神様、大自然だけがご存知でしょう。
そう言えば、島根の松江から理解者が現れ、何と大型バスで来てくださいましたねーー。
それに、見に来てくれた代議士さんが打ち上げにまで来てくれましたねーーー。
でも、そんなことはどうでもいいのでしょう。
この歌劇も神様が誰かに作らせただけですから、作者の名前なんか残さないのが人生最高の生き方でしょうか。
私たちはただ、世の幸せをそっと願い市井に忠実に生き、今の各地の仲間と楽しくやってゆきましょう。


2019年1月16日

 未だに地上にとどまっている仙人