エドワード親書 2019年2月号

マタイ受難曲を終え

すべての参加者の皆さま、お疲れさまでした。
それぞれが大変な事情を抱えながら頑張ってくださったことと思います。
残念ながら暗譜が間に合わなかった方も、やっと覚えられた方も、多少のミスを乗り越えて歌い切れた方も、全身全霊で歌いきることが出来た方も、皆さまご苦労様でした。

教会のご聖堂公演でのいつもの課題ですが、響き過ぎで言葉がわかりづらくなることをずっと懸念していました。しかし本番ではお客様が入って少し落ち着き、歌いやすく、また聞き取りやすくなったのではないかな、と思いました。主任司祭のマルコ神父様が、「後ろで聞いていてわからない言葉もありましたが、祈り、であることが伝わって来てよかったです。言葉以上のものが伝わって来ていました。」とのお言葉でした。

それにしても、歌手の皆さんもなかなか揃わず、忙しいのでしょうね。体調もいろいろあったようですし。スケジュールを作成する田村多佳子と皆さんとの、これも難しい課題です。

オケとのバランスや配置なども難しかったですが、まああれしかなかったでしょうね。
オケの募集の仕方についても、今後の課題がはっきりしたように思います。当会のオケはどうあるべきか、考えましょう。

練習スケジュールの関係で指揮者の黒川和伸との合わせ時間が十分とれず、歌手や合唱との呼吸がもう少しピタッと決まれば、と思うところもありました。しかし指揮者の熱い情熱も歌手に伝わって来て、皆も本番では気合が入っているのを感じていました。

構成としては、アリアの時間が長すぎたかもしれません。今後の課題ですね。アリアが当然ながら演技を伴って歌われたら、もっと切々と伝わってきたかもしれません。

さて、まず蔵田雅之のエヴァンゲリストは素晴らしかったですね。明快な発音と安定した歌唱力、さすがだと感じ入りました。制作や練習の指揮迄してもらいましたが、感謝しています。
平良栄一も体の不自由なことを乗り越えて見事に暗譜で歌い切り、さすがと敬服しました。
直前まで暗譜が出来てなかった金努が、暗譜で見事に歌い切ったのもさすがでした。
突然降りてしまったピラトに急遽代役となって歌い切った廣田修も立派でした。テノールなのにバスの役を歌ってくれたのです。しかも本番10日前に言われて。
祭司長の加藤孝雄も立派な声が響いていたので、指摘した更なる発声訓練をお願いします。
九鬼薫のユダも、どんどん良くなって、本番も気合を入れて向かい合えました。 ペテロの仲井隆浩も、短い練習期間の中で歌も演技も成長してきたのが、愛おしいほどでした。発声もよくなってきてるので、これから更なる成長を期待しています。

アリアを歌った歌手たちは忙しくて充分歌いこめなかった感が否めませんが、中では名越桃子の染み透ってくる歌、石多加代子の気合の漲った歌、鹿島千尋のあの有名なアリアの切々とした歌は聴衆の深い感動を誘ったことでしょう。

合唱はそれぞれ頑張ってくれましたが、コーラス席に入ったら暗譜しないでもよかったのですが、やはり指揮者とじっくり音楽を作るためにも、集中力を高めるためにも、出来るだけ暗譜して歌いたかったですね。暗譜で歌えた何人かの皆さん、ご苦労様でした。でも、よかったね。

児童合唱については、暗譜できなかったことと、動くときの指導が行き届かなかったことが悔やまれます。今回、児童合唱の練習に立ち会えず申し訳ありませんでした。

私も、イエスを歌うはこれが最後と思って立ち向かいましたが、今回ほど大きな重圧を背負って舞台に立ったことはなかった様に思います。イエスを歌い演じるのですから当然かもしれません。本番では続いてきた緊張感や体力の限界で集中力が途切れそうになり、違う言葉を発してしまったりして、不安を与えたかもしれませんが、すぐに取り返せてホッとした時もありました。
再演の声が既に上がっていますが、イエス歌いを皆で探してください。

今、なぜマタイか?日本語でオペラとしてやる意味は?今回の公演で参加者は何か感じられたでしょうか?
多くの聴衆からの賛辞はともかく、参加者がどう感じているか聞けたらと、感想文集を作ってもらうことにしました。

東京では、様々な音楽界が溢れていて、当会の役目はどこにあるのか?皆さんのアドバイスをお待ちします。


   2019年2月28日

 石多エドワード