エドワード親書 2021年3月号


フェイスブックの独り言

昨年8月からFBに書き連ねた独り言を加筆訂正して親書に残してみます。

 

 8月24日

退院したばかりだけど、約二か月間の病院生活の間に自分がすべきことも鮮明に見えてきたので、ここにメモしておく。
自分が本当に人類の未来を願うなら
「地球を緑に還す」、今からこれに拘ってみる。
地球の歴史はいろいろ変遷があったにせよ、人類が生まれた頃は青い海と緑の大地に覆われていたそうだ。その大切な星に砂漠がどんどん広がってきたのは、人類が自分たちの身勝手なことをしだしてから。
地球全体を元の緑に戻すことさえできれば、地球温暖化に対してももちろん、おそらく世界各地の苛立つ紛争も収まっていくように思う。人類の歴史を振り返ると、世界各地で嘗て文明が栄えたところは、必ずと言っていいほど砂漠化してゆき、そこでの文明も崩壊したことがそれを象徴しているようだ。
経済発展という言葉に隠れた、人間の尽きない欲望が地球を壊してゆき、それはもう行き着くところまできている。その尽きない欲望の為、自国の利益ばかりを主張する国家間の鍔迫り合い合いが酷くなっていく一方―――。
人類が生き続けて行ける道は、自分たちの欲望をコントロールし、自然回帰の方向に持っていくことしかない。つまり自然に還ることに。
自然に還ることは不可能であろうか?人類にもう未来はないのか、と自然農法で世界に知られる「無」の哲学者・福岡正信は生前にも危惧していた。
彼の無の哲学による人智無用の自然農法は、日本で殆ど無視されて続けているが、むしろ世界各地で知られ、ある程度実践もされている。
しかしそれでも。地球の崩壊のスピードはそれをはるかに上回っている。
正信さん曰く、自然を壊さないで人類が生き続けるには、「囲炉裏の生活」に戻れるかどうかだと。
現代人にそれを要求しても殆ど出来ないだろうし、今の私にも出来そうにない。
どうするか?
パソコンや時計を捨てて生きてゆけるのか?
すぐには無理でも、我々人類の欲望を自然回帰の方向に持ってゆくことさえできれば、希望はある。そう思おう。
では、これから私に何が出来るか?
この体に与えられる残された時間を、歌い、踊り、語り、表現し続けよう。

≪何を表現するのか?≫
自分がこだわる余計なものはどんどん捨てて、自然に感謝しながら伸び伸びと自由に生きて行けばいいんだ、ということを表現しよう。
権力を持てば権力にしがみ付かなくてはならなくなり、お金や財産を持てばその保持や管理に振り回され、高い名誉を持てばその名誉心が傷つかぬよう配慮し続けなければならず、窮屈に。すべてほどほどでいいから、もっと自由でいて、楽しいことを多くの人と分かち合いたい。

≪その手段は?≫
今のこのオペラ活動だと思う。オペラだけじゃなく、踊りでも、演劇でも、映画でも、他にも手段はいくらでもあるが、これが私には一番楽しいので。

≪どんなペースで?≫
まずは自分が無理なく出来る範囲で。熱い想いは胸に秘めてゆっくりと。

≪誰と?≫
こころから賛同してくれるすべての人々と。まずは身近な人たち。でもどれだけいるのかな?

≪どこで?≫
まずは、教えに行ったり公演したりするところで。

≪具体的な目標は?≫
それは考えず、ただやり続けるだけ。
でも、そっと進めていることがある。
〇「忘れられた少年」と「天空の町」の映画化
〇正信さんをモデルにしたミニオペラ「大自然の歌」コンサーツツアー
〇九州本部から歩いて10分足らずの山にある2300坪の土地を、福岡正信の自然農法による果樹園に。


 8月26日


二日前に書き込んだことに補足したくなった。
自然に還ろう、というと何か禁欲的な生活に戻ることを連想されそうなので。
違うのだ。
述べたかったことは、自分がいろんな束縛から自由になればなるほど、身近に幸せがいっぱいあることに気付け、更に幸せを感じられるようになること。
つまり、花々や緑や青空や雲たちなど周りの景色から、今まで気づかなかったいろいろな美しく光り輝いているものをあちこちに感じられるようになるし、鳥たちや虫たちの鳴き声にも楽しく耳を傾けられるようになり、人に対しても決めつけないで幅広く受け入れられるようになる。
これは僕の長年の実感。しかし、現代人には説明だけで分かってもらうのは難しいかな?
とにかく、僕のこの幸せな気持ちは、自由になればなるほど膨らんできたことを伝えたい。
わかる人には、もうこれ以上言う必要もないかーーー。

 9月5日

独り言だけど。
周りの皆の反対を押しのけ、今日も台風前の平戸の海で思いっきり泳いだ。
無重力状態で自由に動き回れる心地よさは何物にも代え難い。
みんな知ってるかな?
自然にただ感謝するのみ。
僕はいつもいつも感謝ばかりしてるなーー。?
ところで、砂漠の国々で育った文化と、日本の繊細な自然が育てた日本人の精神文化は全く違うだろう。
日本はいい、と素直に思うけれども同時に、日本人は甘ったれすぎてはいないかな?と思うことも多い。
時にやって来る自然の脅威が甘ったれた心を引き締めることもあるかな?
今回来るだろう大きな台風がどんな結果をもたらすのか分からないけど、みんな謙虚な気持ちで気をつけようね。
台風前に海で泳ぐ馬鹿者の真似だけはしないで。
ごめんなさい。

 9月12日

長崎医療センターから退院してもうすぐ一か月になるか。
いま、申し訳ないほど自由を満喫させて頂いている。
福岡正信自然農法による果樹園造成計画を進め、その仲間の栗林で何百個の栗拾いを三度もさせてもらい、オペラの映画化に動き出し、平戸の海で泳ぎまくり、弟子たちのレッスンも楽しくはじめ、美味しい食事をいろいろいただき、気になる本も好きなだけ読め、You tubeでいろんな分野の音楽も聴け、自分でも思い切り歌ったり作曲したり、−−−−こんなに幸せでいいんだろうかと思ってしまう。
各地の歌の弟子たちは元気なんだろうか?はっきりわかる人と、ちょっとわからない人もいるなーーー。
ココではオペラと関係なく書いてるけど、とにかくこの幸せ感を多くの人と共有出来たら嬉しい。
月曜日から三日間、再入院させられて免疫力抑制の点滴を受けさせられるけど、もとから医者嫌いの僕。そろそろ医師たちとのお付き合いもほどほどにしたい。
ただ、与えられた薬だけはきちんと飲むことで西洋医学との折り合いを何とかつけてる。やはり西洋医学にもう少し敬意を払わなくてはね。
こう自分に言い聞かせてる。

 9月13日

明日から17日までまた長崎医療センターに入院することもあり、今日はオペラ「忘れられた少年」の主人公の一人ジュリアンの故郷、西海市の中浦で泳いだ。
ジュリアンも少年の頃いつも泳いだに違いないこの海ーー。
幼い頃の彼は、まさか世界中を旅し、あのような人生を送ることになると思っただろうか?
ジュリアンもサザエなんか採ってたんだろうし、少年ジュリアンと一つになりたくて、また海で遊んでしまった。
明日からは、また大人しく医師の指示通りに。
自分でも笑ってしまう。

 9月22日

誰かさんの誕生日にこんなにたくさんのお祝いを頂き、恐縮しています。個々にはお返事が出来ないことをお許しくださいね。
私がこんなに元気でいられるのは、皆さんや、いろいろ支えてくださってきた限りない方々のお陰だと、つくづく今日も感謝の気持ちを新たにしておりました。
ココにはいつも勝手な気持ちをつぶやいて来ましたが、そろそろオペラの映画化や自然果樹園のことばかりではなく、オペラの仲間のところに戻って楽しい練習をしに行こうかと思います。
皆さんもコロナ狂騒曲に振り回され過ぎず、状況を冷静に受け止め、そして対処して、本来の皆さんの道を歩まれてください。
そのお手伝いを少しでもさせて頂ければ更に嬉しいです。
明日も海で泳ぎたいなーーーー。

 9月22日

少し荒波の海で多少濁っていたが、やっぱり泳いでしまった。
いえ、泳がせて頂いた。
いつも憩わせてくれる海に再び感謝!
そしていつも通り?E漁師が苦労して採取したいろんな貝をそっともらって関係者にお裾分けし、またしても美味しく調理してもらったりして、近くの皆が遠慮なく頂くことに。
こんな自然の恵み?を差し上げることが出来ない方には申し訳ない気持ちだが、そうでもないかな?
さあ、明日からオペラの仲間のところに戻ろう!
いや、オペラの仲間だけじゃないーー。
当会オリジナルオペラの映画化もあるし、自然果樹園の造成もある、忙しくなるぞーーー。
大丈夫かな?
まあ、なるようになるか。
歌でも歌いながら、楽しく愉快にやっていこう。

 9月26日

今日は、生月島の殉教地で知られるダンジク様で泳がせて頂いた。
ダンジクの由来は暖竹がなまったものだそうで、弾圧から逃れて秘かに隠れて居た三人の親子の子供が海辺に出て遊んでいたのを、沖合から役人が見つけ、三人を捕らえて処刑した場所らしく、今も船でから上陸して来る慰霊は禁止されているとか。
私は崖から何とか降りて行った。
悲惨な光景だっただろう海岸では、空、雲、緑、波が、優しく私を包んでくれるようで不思議な安らぎのひと時だった。
これは、誰をも許し合える世の中を願っている私へのエールだったのか?

 9月29日

何と幸せな一日だっただろう!
朝は自然果樹園の草払いをした後、大堤自然公園で栗拾いをさせてもらい、昼からはこの夏何と7回目となる平戸の海で泳がせて頂き、E漁師からは大量のサザエや銀高浜貝だけでなく、何年かぶりにアワビ迄頂いてしまいました。
例によって、関係者と分け合い、自然の贈り物にまたまた感謝です。
さあ、明日から長崎を4っか月ぶりに脱出。各地を回って羽ばたくぞ!
ゴメン、既に羽ばたいてるね。ハハハ!
それにしても長崎は、最高の癒しの日々を過ごさせてもらいました。誰に、何に感謝したらいいのかな?

 9月30日

大どんでん返し!
長崎である事情が起こり、どうしても私を出さないそうだ。
体はこんなに元気なのに!
たとえどんな困難があっても、予定を変えなくてはならなくなることも確かにある。
ーーー甘受しよう。
そして各地の友よ、許せ。
愛しさに差し伸べる手に秋雨か

 10月5日

焦るまい 負けるのではない 今は待つ
そうなのだ 道は拓ける これまでも
冷静に 見れば希望が 膨らんで
我が道か 茨も夢も 友となす
美しや 浮かぶ笑顔が 友たちよ

 10月11日

長崎を脱出する前に、「遊び農夫」として長崎の九州本部で自然農法による果樹園を作っているけど、ずっと雨が降らないので、福岡正信さんお薦めのラジノクローバーの種を蒔けないでいる。
ラジノクローバーと言っても誰も知らないだろうけど、もちろんクローバーの一種で、種を蒔いてさえ置けばやがて他を除草する必要もなくなるほど強力らしい。雨乞いの歌でも歌うか?
今この自然果樹園候補地で始めてるのは、大型機械は使わず鍬と鎌などだけを使って種を蒔き苗を植えるだけ。預かった土地は2000坪以上あるけど、まずは100坪くらいの土地に好きな果樹を植え始めた。もちろん無農薬。500リットルの水を溜められるポリタンクも頂いて活用方法を考えている。
いつかはここを観光果樹園のようにして人にも来てもらい、材木も豊富にあるので野外ステージを作ったりして楽しみたい。

 10月12日

新記録か?
何って、一年で海に行った回数。
実は今年、今日で10回になる。そのうち海辺に行っても泳がなかったのは5メートルの波の時で、その1回だけ。
南伊豆に合宿所を持っていた時でも年に10回は行かなかったかな。(行ったかな?)
明日からまた三日間、免疫抑制剤の点滴を受けるため長崎医療センターに閉じ込められる。
主治医の医師との微妙な戦いも始まる。はいはい、と聞いてなるべく大人しくするつもりだけど、どうなるか?
10キロ近く減った体重もあと3キロで今まで通りに戻る。
泳ぎと自然果樹園造成のお陰か?
オペラプラザ長崎は全体練習を始めたけど、各地はまだコロナ狂騒曲に振り回されてるかな?
コロナに気を付けるのは大切だけど、この一瞬一瞬のひと時もみんなと大切にしたいな。各地のオペラ仲間や、かけがいのない友人たち、いつもさり気なく支えてくださっている方々、やはりもう少し顔を合わせて向かい合っていたい。

思い直す。
こうして今も一緒に生きている皆さんとともに生きるだけだね。
手を差し伸べているのがわかるかな?
一人ひとりにはなかなかメッセージは書けないけど、僕のこんな気持ちが少しでも伝わるといいなーーー。

 10月16日

長崎医療センターから今日再び脱出。
海が呼んでるーーーかな?
いや、各地の仲間が呼んでる!じゃないとね。
世界各地でコロナ禍が広がる中、日本は頑張ってるね。マスク、手洗い、消毒、フィジカルディスタンス、などなどしっかり守っている人が殆どだからかな。
僕?僕はもちろん完全武装!(でありたい?)
ハハ!人間のすることに完全、なんてないんだけどね。
さあ、与えられた今日からの日々、愉快に楽しもう!
歌って、レッスンして、農夫して、漁師?して、作曲して、オペラ映画の台本を書き直して、天空の町から合唱「旅人」のYoutube参加者を募って、九州本部の自然果樹園を着々と完成させて、各地のみんなの顔を思い浮かべて、そっと支えてくださっている支援者に感謝してーーーー。
それはともかく、まず今日はどこに行こうか?
分かってるけど!?

 10月22日

長崎は雨。
何か月ぶりかの本格的?雨。
これで、自然果樹園に蒔いておいた福岡正信さん推薦のラジノクローバーが芽を出すかな?
この果樹園の一番高いところをこと始めにと、大型機械を使わず、スコップ、鎌、鶴嘴、鍬だけで草刈し、甘夏(第一果樹園にあった甘夏の子)、枇杷(大阪の実家にあった枇杷の孫)、ナツメ(第2果樹園にあったナツメの子)、レモン、ブルーベリー、オリーブ、そしていくつかの野菜の苗も植えてあるんだけど、ピオーネと巨峰の苗を買ったので今日は更に新たな仲間が増える。
そこでさっきのラジノクローバー。また生えてくるだろう草草と今から競合していくはずだ。何が生き残っていくか見もの。
頂いた500リットルのタンクには水を溜め、道路側には「福岡正信自然農法による自然農園を目指します。無為自然。東京オペラ協会九州本部」と看板も出した。
何しろ周辺の農夫の方々の協力を得ているのだけど、今までの農法でいろいろ教えてくださるものだから、自然農法の説明にちょっと苦慮する。そこで、初めからこちらは違うんだということを分かっておいていただきたくて看板を作ったけど、効果はあるかな?
実はその上、正信さんの「わら一本の革命ー総括編」を数冊配って読んでもらっている。しかし今までの彼らの経験もあって、なかなか深い共感には至らないなーーー。
まあ、ゆっくりマイペースでやっていこう。
僕は農夫?漁師?仙人?歌う人?自然に抱かれた遊び人、かな?
何でもいいけど、みんなで楽しく舞台を作りたい!

 10月29日

今日は恐らく最後の海。水温も下がってきたし波も高くなっていたが、海の中で無重力状態を自由に楽しめるのはシアワセ!
今年はこれまで既に十二回も行った。贅沢の限り!
すべてから解放されて、海の中の一匹?の生き物になり切れる喜び。何度も書いたけど、みんなもっと海で泳いだらいいのにーー。
そうだ。何ものにも捕らわれないのが最高の生き方と、今までこんなに自由を謳歌させて頂いてきたが、海の中でも僕はそれを感じてるのかな。
いつも思ってた。
どんなことでも何か提案されたら、すべてまず受け止めよう。
あらゆる可能性があるのだから、と。
だからかもしれないけど、これはこうだと断定的に決めつける言い方をされると即座に、そうではない可能性があることを想像してしまう。
矛盾するようだが、僕はいつも自由でいたいだけなのだろう。
我儘勝手??
しかし舞台の本番が迫った時には、そうは言っていられないから、演出家としてココはこうしよう、と予め出演者に話すことになる。
実は、演出プランが出来上がるまでに何百通りもの可能性を考えて、その中から妥当なものを概略決めておくのだが、わざと出演者に自分で考えさせたくなることもある。意外なプランが出てきたら面白い。
何が言いたかったか?
海で泳ぐことも、何ものにも捕らわれず自由でいたいことも、根っこは一つなんだなあ、かな?

 11月6日

何と!!
諫める声を背後にしながらも、また海で泳いでしまった。
今年、13回目の海。
何と幸せなんだろうーーー。
冷たかったけど1時間以上も海と戯れさせてもらった。
海に入った時は凍り付くかと思ったけど、不思議に泳ぎ出すと、冷たさよりも無重力の中を自由に泳ぎまくれることの面白さを大きく感じるんだろうね。
今は、心地よい脱力感で体中がいっぱいになってる。
そしてE漁師からいつも通り海の幸を頂いて、これから刺身にーー。
さあ、明日からもみんなの為にも頑張るぞ!

 

 11月9日

ココには普段のオペラ活動とは別の角度から好き勝手に思いついたことを書こうと思って来たけど、何故か今日は私が好きな3人のバリトン歌手を思い出して書いている。
この三人はバリトンでドイツ人。ドイツ歌曲を大切にしていたことも共通している。
ハンス・ホッタ―、フィッシャー・ディスカウ、ヘルマン・プライ、この三人。
みんな故人になってしまったけれど、僕が若い頃、オペラやリサイタルを生で数回ずつ聞いた人たちだ。しかし直接お会いしたことも、個人レッスンを受けたこともない。
それでも何故惹かれたか、一人ずつ思い出してここに残しておきたくなった。

まず、ハンス・ホッター:
彼の深々とした声だけでも言葉をなくすほどだったけど、彼が哲学から転向して歌手になったことも僕と共通していて興味深かったのかも知れない。トルストイが晩年の著作「芸術とは何か」の中でさんざんこき下ろした、ワーグナーの「ニーベルンゲンの指輪」があるが、その中のヴォータンという主神の役があまりに嵌っていて、僕も憧れ、いつかはこの役をやりたいと思ったものだった。今はもうやりたいと思っていないけどーー。
それはともかく、彼はドイツ歌曲もよく歌われていた。その中でもシューベルトの「冬の旅」は彼の十八番みたいなものだったので、そのリサイタルを二度ほど聞きに行ったが、彼のあの深い声と端正な歌い方が、ずっと今も鮮明に僕の記憶に残っている。
ところが先日、彼が若い頃リサイタルで歌ったシューマンの「詩人の恋」をYoutubeで聞いて驚いた。晩年の端正な歌の印象とは違って、溢れんばかりの気迫と情熱の籠った演奏。ホッタ―の中でどんな心の変遷があったのだろうーーー。

そして、フィッシャー・ディスカウ:
彼の声が僕には軽すぎるように感じて、学生時代は音大で騒がれているほど惹きつけられなかったのだが、何度か生の演奏を聞いて行くうちに、とんでもないことに気づかされた。
声が軽いのは当然で、その上深い声も出せる彼の自由自在な発声が、東京文化会館大ホールの客席の隅々にまで広がっていくのを何度も聞かせてもらった。
こうして他の追随を許さないほど歌は常に完璧で音楽界の誰もが称賛していたのだが、彼に少しでも近づこうとすることが当たり前のような風潮が生まれ、僕の尊敬していた三谷礼二というオペラ演出家が「彼の歌で、自由な歌い方が敬遠されがちになるきっかけを作ってしまった」と言うこともあるくらいだった。
ところが先日、彼の「冬の旅」をやはりYoutubeで聞いて、ホッターに対してと同様、また驚いた。50歳くらいの時の録画だと思うが、彼の類まれなテクニックのことなど忘れさせる情熱に溢れた「冬の旅」だった。みんなに聞いてみてほしいーーー。

最後に、ヘルマン・プライ:
彼のドイツ歌曲のコンサートやオペラを何度か聞いたけど、YouTubeにあがっている司会のペーター・アレクサンダーとのテレビ出演で歌ったセヴィリアの理髪師のフィガロのアリアの素晴らしさ。
これを40年くらい前に初めて聞いた時、歌はこれだ!とはっきりイメージできたことを思い出す。細かい発声方法を云々してるより、これ以上のいい見本があろうか。何を今まで学ぼうとしていたのだろう?歌はこれでいいんだ、と思い当たった。
彼は、ディスカウと違いミスもするし音程が乱れることもあったけど、そんなことをとやかく言うことが恥ずかしくなるほど、彼の歌声に魅せられる。ホッタ―もそうだけど。
プライは、民謡も歌うし、ミュージカルやポピュラー曲も何でも歌う人だった。
とにかく、発声や歌で迷ったら彼の歌を聞いてくれたら、僕がいちいち教えなくてもみんな納得してくれそう。(それは甘いか?)
彼は僕が度々口にしている”深々と軽やかな声いい顔で“を当たり前に歌っている。
この頃は“心も自由に体も空いて”と付け加えることもあるが。

今日はこの大好きな三人の歌手のことを、感謝を込めて書き留めておきたかった。
ちょっと専門的になったけど、ここでは勝手に呟いているだけだからいいかな?

 

 11月18日

今日も内緒ですが、今日E漁師が今度こそ最後の海と思って泳いだそうです。
そしたら、今までより大きいアワビが岩に張り付いてるのをを見つけたそうです。
ところがです。
いつも持参していたアワビおこしを忘れて行って、何とか手で剥がそうと30分以上格闘したそうですが剥がせず、意を決してその10キロはありそうな岩ごと海岸に引き上げようとしたのだそうです。何しろ海の中とはいえやはり重いので泳いでは沈み泳いでは沈みでまた30分以上かけてもがいていたそうです。
しかし海岸ちかくまでやっと来た時に、あまりの重さに耐えきれずその岩を海中に落したら、何と別の岩にぶつかり、それがいい感じで衝突したのかショックでだったのか分からなかったそうですが、何とアワビが突然パカットはがれてくれたそうです。
とにかくそのE漁師の大格闘のおかげで、アワビを刺身で頂けた幸せ者たちはともかく、ご本人は痛めていた右肩を更に痛めてしまい可哀そうにーーー。
それでもE漁師曰く、「水は冷たかったし、岩も重かったけど、海はとってもきれいでは最高に癒された」とのことです。よかったですね。

 

 12月11日

難病?のため長い間、この長崎医療センターでお世話になった。
今まで続いていた、毎月一回3日間の短期入院も明日やっと終わる。
しかし、各地のコロナの様子が報じられているのを見ると、僕がすぐに飛び回ることは難しいか?大反対の合唱がすぐに聞こえてきそうだ。
それでも、東京や大阪などで生活している皆さんは、自粛しながらも頑張って生活していらっしゃるだろうにーーー。
何か不思議な感じ。
全国を飛び回ることが当たり前になっていた僕のライフスタイルだったからか、各地のみんなと会えないでいることがスッキリ納得できないのだ。
飛び回らなくても皆さん同様に自粛してテレワークすればいいではないか?その方法を極めよう!と考える方がいいのか?
または、たとえ飛び回っても、細心の注意を払ってレッスンする方法を追求すべきか?
大好きな福岡正信さんは、「病気なんかもともとないんじゃ、人間が作り出しただけ。」と話してたけど、僕はどうしよう?
そうだ、迷うことはない。
忘れるな!
オペラの映画化という楽しい大仕事が待っているではないか。
各地のレッスンだけではない。
ハハハ!

 12月20日

もう今年もあと10日に。
コロナ狂騒曲に振り回された一年だったが、これを単なる試練ととるか、次の飛躍への踏み台と捉えるかは、大きな違い。
東京オペラ協会の関係者には、「私たちには歌や音楽、といいう素晴らしいものがあるじゃないか、頑張ろう!」と呼び掛けている。
来年は東京オペラ協会の創立何と45周年にあたるので、何か楽しいことをしたいと思っていたけど、オペラ「忘れられた少年」と歌劇「天空の町」を映画化しようと思う。
その手始めにだが、来年早々に計画していることがある。
オペラ「忘れられた少年ー天正遣欧少年使節」
2021年2月7日(日)佐世保アルカス大ホール無観客公演
これを上演して全曲同時ネット配信する予定なのだ。
その上、映画化のために30分に編集したプレゼン用のビデオを作り、今まで公演したヨーロッパ各地の主催団体に配信して、あちらでの宣伝広報に協力依頼する段取りになっている。
このオペラに合唱などで参加した方は全国で延べ何千人になるが、コロナや高齢化のこともあるしまだ参加できるだろうか?
東京オペラ協会の掲示板に詳細を載せてあるが、どうかな?
このオペラ映画化にはいろんな協力者がほしいけど、癒しや愉快なことにみんなの心が向かってしまうこんな時ーーー。
興味を持ってくれる人がどれだけいるか?楽しみでもあるな。
心あるマスメディアに協力を依頼するか?
人間賛歌を歌い上げるこのオペラ。
心を開いてくれる人も何人かはいることを期待しよう。
とにかく元気が一番!
私たちの歌と音楽を素晴らしい手段にして、多くの人が元気でいられるよう愉快に歩むだけだね!
ハッハッハ!

 2021年1月4日

新年になってしまった。
今年は何が出来るだろう?
みんなの手を取って一緒に歩んで行きたい!
誰と?どこへ?どのような道を通って?
僕にそっと溢れてくるこの無限の愛。
誰かの幸せの役に立てるだろうか?
押しつけがましい迷惑にならないよう、そっと陰徳で役立てることを願いつつ、まっすぐ歩んで行こうーー。
僕に出来ることはやはり歌だ!音楽だ!舞台だ!
そして、みんなを元気に!

 1月7日

今のアメリカの様子を嘆いている人も多いだろう。
民主主義の象徴とも言えるアメリカで何故こんなことになっているのか?暴徒となってるあの人たちは、自分が正義と信じているのだろう。アメリカの国益を守るのはトランプだからと。
アメリカに限らず中国やロシア等の大国の指導者が、自国の利益だけを主張してやまない様子、それに追随する大多数の国民。この様子をみんなどう思っているのだろう?大国に限らない、日本だってこれでいいのだろうか?
人類はどこに行こうとしているのか?破滅に向かって行くようなこの流れを、誰ももう止められないのか?芸術に携わる私たちに出来ることは何かないのか?

人が自分の幸せを求めるのは当然。
しかし、自分や自分たちだけが幸せになろう、というのは?
自分たちだけ?そんなことがありうるのか?
人間社会も本来自然界のひとつで、みな一体でつながり合っているのに。

人類の歴史を振り返ってみると、戦争は正義と正義とのぶつかり合いでもある。互いに自分たちが正しいと言い合って争ってきた。自分たちの神だけが神だと信じる宗教戦争も同様だ。
どうしたら対立から共生に向かえるのだろう?
世界中の人々が共生する道を見つけることが、今何より大切なのではないか?
芸術の力で、共生の文化を広げることは出来ないのか?
オペラの舞台で少しでも、と思っている私は単なる夢想家でしかないのか?
私の意見に賛同を唱える人がいても、世の中には表面的にしか受け入れられていないから、社会に広がらないのだろうか?

まあ、いいだろう。
このまま、本当に共感してくれている人たちとやり続けよう!
いや、本当に共感してくれてなくてもいいのかも知れないな。
それより、やっぱりいろんな人と一緒に舞台を作ってゆきたい。
そのうち、互いの中に何か変化が起こるかも知れない。
笑っておくれ!
ハハハハ!

 1月10日

自然果樹園の果樹たち。
長年放置されていた自然の山の斜面を、釜や鶴嘴だけで切り拓いて沢山の果樹を植えてみたが、雪が降り積もる中、今日も頑張って生きてる。
こちらの勝手な都合で、福岡正信さんが唱えた無為自然や人智無用を完全には守れなかったが、自然界の中に立ち返って命の連鎖の凄さを改めて感じ取っている。
これ以上は手をかけずそっと見守ろう。
でも、美味しい果物ができたらいいなーー、と願ってしまうね。
果物好きな僕、ただの食いしんぼ!

さて、これから人類がどこに向かおうとしているのか?
今のコロナ狂騒曲とどう立ち向かうのか?
この星はいつまで輝き続けるのか?
何が本当にいいことなのか?
所詮人間には分からないことなのだろうが、私が願っていることは何か分かっている。
それは、
自分の周りの世界や人々と仲良くいたい、元気で生きてほしい、我欲に振り回されないでほしい、いろいろな人たちのいろいろな気持ちを受け止めて過ちも許し合いたい。歌が好きでいてほしい。歌い続けてほしいーーー。
歌はやっぱりいいな。
エドワードの作る歌は特に!(笑って)

 1月11日

人はなぜ山に登るのか?
そこに山があるから、という。
そして、さらに高い山を探し求めて登ろうとしてきた人類。
それはそれで素晴らしいことのように思える。
でも、それだけだろうか?

まっすぐに高い山を求めて登ってゆこうと競う人々が、見失っているものがあるのでは。
道端に人知れず咲く花の愛おしさ、登れなくなって倒れそうになってる人の手を取って一緒に下山しようとする心持、死にゆく人の側でそっと歌う子守唄の優しさ、−−−。
人間の作ったあらゆるものは所詮バベルの塔に過ぎない、世界中を飛び回った孫悟空はお釈迦様の手の平を転がっていただけだった。

だからこそ思う。
さらに高い山を目指すのもいい、これでもかと壮大なオペラを公演するのもいい、自分が身につけた高度な歌唱力や演技力を誇らしげに誇示するのもいい。
神の目からは、みんな可愛いものではないか。
今そんなことを思いながら、秘かに新しい音楽劇の脚本づくりを楽しんでいる。
可愛いものではないか、と思えるかな?

 

 1月19日

自分の人生、何かの為に役立てたら嬉しい。
そう思う人は多いだろう。
友人の為に?
大切な恋人の為に?
愛する家族の為に?
可愛い純粋な音楽仲間に?
すべての誇り高い芸術家に?
それとも音楽、芸術のために尽くしたい?
または、日本人すべての為に尽くしたい?
出来るなら、世界中の人々の為に役立ちたい?

ここで思うのだが、仮に日本人に尽くすことと世界の人々に尽くすこととが相反する時は、どうするか?
今までの各地の戦争は、身近なもののために尽くして、遠い国民を悪と決めつけて争って来たことが多いのでは。
さて、その時僕はどちらの為に役立てばいいのだろう?
そしてこの頃、自然と触れ合うことが多くなり思うのだが、人類の為に尽くすことが自然を破壊することになる時、どうするか?人類と大自然、僕はどちらに尽くしたいか?
両方に尽くせる道を考えるか?
長崎の自然果樹園を作っていると、人類は自然の一部だと思うけれど、自然を破壊してゆく特別な生き物なのか、と自問している。
大自然と仲良くいたいし、すべての人間とも仲良くしたい。
僕のライフワークは、自然賛歌と人間賛歌。
この二つを一緒に実現できるよう、歩む人がいてほしいな。

 

 1月28日

このコロナ狂騒曲の中、みんなそれぞれ頑張っているだろうなーーー。
何か自分だけが長崎に籠ってゆっくりしているのが申し訳なくなる。
12時頃に寝て、8時頃に起きる日課だが、
新作歌劇の台本を直したり、自然果樹園で草刈りや果樹を植えたり、(もう40以上の果樹の苗木を植えたかな)、歌のレッスンをしたり、風呂上りに自分が歌ったり、You Tubeであらゆる音楽を聴きまくったり、今度の無観客公演の演出を考えたり、各地のみんなの顔を思い浮かべながらどうしてるかと思ったりーーー、
まあ、今はさすがに海で泳がないけど、青空や星空の凄さに勝手に感動したり、羨まれるほど贅沢な毎日だよね。
でも、東京オペラ協会の責任者として、さすがにこれからのことを考えてる。
こんな時、みんなは僕にどうしてほしいんだろう?東京オペラ協会に何を期待してるんだろう?僕が帰京するのを待ってくれているのかな?落ち着くまでもう暫く、それぞれに考えてもらおうか?考えるかな?
何も言わず突然帰京していろんなことをやりだし、関係者をびっくりさせるのも面白いかな?
ココには東京オペラ協会のみんなにではなく、暇がある人が読んでくれるのもいいと思ってただの独り言を書いてるけど、やっぱり、いろいろなみんなに元気でいてほしいな。
どうやったら僕が手を差し伸べてることが伝わるだろう?
僕の歌でも歌ってくれたら、僕のこんな気持ちを少しでも思い出してくれるかな?
深々と 軽やかな声 いい顔で 心は自由に 体も空いて
みんな!
一緒に頑張ろう!

 2月3日

今の世界の流れにどう向かい合うか?
それを問い続けている。
現代に限らずいつの時代でも、混乱はあったのだろうけどやはり今、僕は自分に問いかける。
自然賛歌、人間賛歌を歌い続けたいからこそ、問い続けている。
どう向かい合うか?
権力を持った者は、それを持ち続けるために邪魔者を排除するのは世の常。
アメリカの前トランプ政権、中国の習近平、ロシアのプーチン、今は東南アジアやアフリカ各国でも、権力を持った人たちの顔や言葉がメディアから伝わってくる。究極的には人間は何もわからないし、メディアだけでは誤解もあり細かい真実は分からないにしろ、それでも彼らの心の中の孤独を僕は確かに感じている。
さて、日本はどうか?
何かを持てばそれに縛られるのは当然。
権力も財産も名誉も何も持たないのが自由でいられるのに、それに気づかない。持っている、という一時の優越感で自己満足している。
奢れるもの久しからず、なのに。
お釈迦様や神様の目から見たらーーー?
私自身は何も持たないが、生かしていただいている、という実感を持ち続けている。ただひとつ、一生荷物にならない「歌」という財産だけを持って。
さて、この世界の流れに歌でどう向かい合うか?
何を歌おう?誰と歌おう?誰に歌おう?どこでいつ歌おう?
こう問い続ける僕に、誰が答えてくれるかな?
自然の素晴らしさと向かい合ってほしい、人間は誰もがそれなりに微笑んでいてほしい、歌で力になれたら嬉しい!
オーーイ、みんな!
コロナもいるけど、一緒に手を取って歌い続けよう!


 2月12日

無観客公演にチャレンジ。
5月8日(土)17時 佐世保アルカス大ホール
オペラ「忘れられた少年ー天正遣欧少年使節」全二幕
お客様を相手にしたやったことがないので、やりづらいが、だからやってみようと思った。将来の映画化の為でもある。
舞台芸術はお客様がいて初めて成り立つのだろうけど、みんなにもお客様に見せる気持ちを抑え、ひたすら歌と演技に集中してもらおう。
コロナを忘れた演出にしたいが、さてどうなるかーーーー?

 

 2月20日

さあ、今日で佐世保無観客公演参加希望者の受付も締め切る。
これからは、参加者を最終決定して新演出プランを考えるだけ。
ベストメンバーで、ベストオーケストラで、ベストステージを構成したいな。
でも、ベスト?
ベストって何だろ?
人間は所詮不完全なもの、だから今できるベストを尽くす。

3月2日に佐世保で記者会見する。
何を話そうかな?
その時の気分にもよるけど、記者たちも楽しく会見したいだろうし、僕もそうだから楽しくなるね。それより愉快にやるか?
記者会見で突然歌うのはどうかな?記者はびっくりするだろうなーー。
もう一度つぶやく。
今できるベストを尽くしたい。
参加するみんなとともに!
元気を一緒に分かち合おう!

 

 2月23日

フ ィリピンとのハーフとして生まれた私の天命は何か?
私自身はお金も権力もないが、それでも今まで、数限りない方がこのオペラ活動を支えてくださって、世界各地で何百回と合作共演をやって来ることができた。改めて感謝!
★ユニバーサルデザインによるオペラ
★オペラによる国際交流
この二つが東京オペラ協会グループの基本方針。
世界を平和に導く道がここにある。私の天命だ。
舞台は世界のあらゆる人と手を取り合うことが出来る。
特にオペラは音楽の力が大きく、外国人とでも言葉のハンディーを乗り越えて共感し合え、共同出来る力があることを、今までの経験で知っている。
また歴史を動かすのは巨大な情熱であることも知っている。
その巨大な情熱を共にできる同志が今も違った分野でいる。
協働したい。そんな同志と楽しく愉快にやってゆこう!

もう一度誰かに問いかけてみたい。トルストイが「芸術とは何か」でしつこく力説していたことなのだけど、お金や権力や名誉のために芸術を使うことはやめよう。
そんなちっぽけで愚かな我欲は捨て去り、私たちの世界や人生を明るくする芸術を育てよう。
いろいろな方々と感動を共にするためには芸術が一番だと思うけど、その芸術もいろいろある。
さて、当会の目指すユニバーサルデザインオペラはどんなものか?

 3月10日

25年前東京芸術劇場で僕が指揮したオペラ「忘れられた少年」が東京オペラ協会からYoutubeにアップされた。
懐かしい、というかあの若造の僕がやや恥ずかしい。
(でも、内緒でいうと、よく振ってると思った。)
やはり、思い入れと情熱の大きさかなーーー。

 3月12日

岡山に入った。
14日に歌劇「天空の町」を市民会館で無観客公演。
遠隔でしか指導できなかったことが残念だが、これも今は新しい可能性を生むためのひとつのステップとして捉えている。

遠隔レッスンも確かに効果があったと思うーーーー。
しかし今後、これが主流になって行きそうで、考えてしまう。
その場の空気というか肌触りというか、その場を共有して初めて感じられることはどうなるのだろうか?
30年前、これからは包装紙の時代、イミテーテーションの時代になって行くのではと危惧しながら自筆詩集で問うたことがある。今も変わらない。
しかし、確実に僕の周りには人がいて、その人のいろんなものが伝わってくる。
これからも僕らしく愚直?にみんなと接しながら歩むだけ。
岡山無観客公演、やはりいい公演になるような気がする。
みんな可愛いし、何しろ誰かさんの作曲台本だからね。
ワッハッハ!

 3月17日

岡山公演が終わった。
予想通り、全体としていい出来になったと思う。
出演者の気合が入ってたのが何よりかな。
直接指導は前日からだけだったけど、これもいい経験になった。岡山メンバーにとっても、僕にとっても。
主演後挨拶することになり、いつも通り思いつくまま話したけど、最後に「演奏者に拍手を!」と気持ちよく言えたことが嬉しい!
アルカス佐世保公演はどうなるか?
そりゃあ、モチロン!
だね!

 3月22日

春、春、春爛漫!
長崎の九州本部辺りではこんな感じ。
青空に 桜輝き 雲一つ
何て捻ってみたりーーー。

近所には三匹の子ヤギが2か月になるけど、あっという間にお母さんヤギの半分くらいの大きさにーー。
何しろ、カラスノエンドウが好きみたいで食べること食べることーー!すぐ大きくなるのも当然。
毎日会いに行くので、この頃は傍に座り込むと子ヤギたちは僕の上に乗っかかってくる。
やっぱり自然とともに生きてるなあ。
幸せ。

毎週土曜日には、「忘れられた少年」アルカス佐世保無観客公演の練習が始まっている。本番は5月8日なのであっという間だろうな。全国から合計100名ぐらいが参加する。
スタッフがこれでもかとばかりに万全のコロナ対策を考えてる。
僕はこういうことには呑気な方だけど、スタッフたちの心配も分かるので一応気を付けてる。
演出は大体決まってきたが、衣装を考え直したり、舞台装置、映像や照明などの工夫もまだまだ必要だ。
でもやっぱり演奏が一番気になるけど、
みんな僕の期待通りに歌い演じてくれると思う。
今回のオケもいいメンバーで楽しみ。
あとは、本番に向けて体調を整えてもらい、僕も指導にベストを尽くすだけかな。
とにかく、春、春、春です!
皆さん、元気で頑張ろう!!




   2021年3月25日

 石多エドワード