エドワード親書 2005年
春号 |
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アナテフカ物語の経緯 |
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今回の著作権問題について、今までの経緯や私の基本的な考えをもう一度整理するので、関心ある方はお読み下さい。
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思い返せば20年くらい前になるだろうか、茨城県の美浦村の主催事業で「屋根の上のバイオリン弾き」を市民中心で上演したいので、主演と演出を兼ねて協力してもらえないだろうかと、友人を通じて依頼があった。早速映画を見て、ショラム・アレイヘムの原作を読んだ。なかなか奥深い現代性のある作品と感じた。
特にそのユダヤ音楽の力強さには大いに興味を抱き、取り組む意欲を駆り立てられた。ミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』の映画を見たとき、この作品は当会の基本姿勢である市民参加型の公演に最適であるとの確信を得た。
ただ、テレビで放映された東宝ミュージカルのビデオを見せていただくと、私の目指しているものとは大きな隔たりがあり、台本構成・訳詞・演出・振り付け・編曲の全てにわたってオリジナルで作ることにした。特に好きな8曲くらいを選び出し、1時間20分程度にまとめて美浦村の主催で上演した。
主催者サイドが東宝サイドの知人関係者に上演について問い合わせられたらしいが、森繁久弥さんにも話が届いたらしく彼は、「いいじゃないか、わしよりうまかったら困るけどな。」と話されたとか。
しかし主催者の意向により、ミュージカル特集として他の曲を30分ほど前座的に入れて、後半を「屋根の上のバイオリン弾きハイライト」として公演した。
この練習の模様などがテレビでも東京で放映されたが、何もクレームはこなかったそうだ。
それからは私も、学園祭や当時取り組んでいた「街かどオペラ」で5曲くらいにまとめたものを演奏したことがあるが、公演らしいことは他の事業のため余裕がなくてできなかった。
2002年2月 東京オペラ協会版ミュージカル「アナテフカ物語」制作
台本・演出・振付・訳詩は全て石多エドワード(部分的にA氏演出・台本補作)
このとき練習を見にいらっしゃっていた東宝の音楽監督T氏(故人)よりミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」よりハイライトとし、タイトルもたとえば「アナテフカ物語」とすれば著作権はクリアできるとアドバイスを頂く。
その後、京都・東京・長崎にて市民参加ミュージカル「アナテフカ物語」を公演。
JASRACへ屋根の上のバイオリン弾きより「アナテフカ物語」で申請をして許諾された。
またミュージカル特集「屋根の上のヴァイオリン弾き」としてJASRACに申請し、許諾を受けたこともある。
2004年5月「アナテフカ物語」福岡巡演
直後に東宝ミュージカル代理店インターナショナルミュージカルス新社(IMI)の社長N氏より、東京オペラ協会へ著作権侵害と電話が入る。
2004年8月10日 インターナショナル・ミュージック新社との折衝報告
東宝ミュージカルが怒っていることなど先方の言い分をまず聞かせて頂き、こちらの考え方や事情をやわらかくユーモアも交えてお話した。
結論は出たわけではないが、以下のいくつかの選択肢による解決法が考えられる。
1、新社(以下このように略)の言い分を尊重し、2002年5月東京草月ホール公演以降の入場料収入の11%(プロなら)、15%(アマとみなされたら)を支払えば、9月公演まではこのままで了承してくれる。草月ホール公演以来今までの入場料総収入が500万円とすると総額75万円くらいを支払うことになる。ただしこの場合、当会が日本音楽著作権協会に支払ったものは返済を要求できるとのこと。
2、当会の台本は、東宝ミュージカルから離れようとし、ショラム・アレイヘムの『屋根の上のバイオリン弾き』や『泣き笑い人生』を原作として新たに作った旨説明した。従って音楽著作権だけでいいのでは、とお尋ねしたが、新社としては『認められない』とのこと。今その原作の『屋根の上〜』を20年ぶりに読み直しているが、裁判したら勝てるのかどうか、小松陽一郎弁護士に相談しようか?
それから、トポル主演の映画にはかなり影響を受けて台本を書いた事もお話した。すると困られ、「映画の著作権はまた別なのです、うちは演劇だけですからまったく関係なくなるのです。」と話された。こちらもそれ以上突っ込まなかったが、ということは映画の著作権が関わると、新社は口を出せない事にもなりそうだった。どうするか?当会の台本は原作(アレイヘム)と映画によっているので、ミュージカルの台本をもとにしているのではない、従って音楽著作権以外支払う必要はない、とも言えそうだった。
また日本にはトポルさんのこの映画の著作権を管理する窓口がないとのこと。
3、最後の選択肢は、ミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』として公演権を取る。
今日まで不可能と思ってきたが、アマチュアとして公演し入場料収入を15%支払い、全曲(3時間)をやるなら可能との事。非常に意外だった。また東宝は日本で独占権を持っておられ、12月に期限が切れるのでまた再更新されるとのことだが、彼らの公演時期と重なればアマチュアでも許可しないとのことだった。
また当会は市民参加でやってゆきたいので全曲3時間は長すぎる、2時間に縮小したいと提案すると、最初は駄目だと突っぱねられたが、アマチュア主体でやるのだから力量不足を理由に許可申請したらと再度聞くと、できるかもしれませんね、と返答しなおされた。この場合練習が始まる10週間前にその台本を提出し許可をうることが前提となるそうだ。今すぐ当会台本を英訳しなくてはならない。子供用に1時間に縮小版も許可された事もあるそうだ。
4、誰か強いパイプ役がいれば、東宝と円満に話し合って黙認してもらう。
以上の選択肢が考えられる。
とにかく、一番の問題はやはり我々の「アナテフカ物語」の内容だろう。
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私の主張をもう一度整理します。皆もよく考えてみてください。
1,全音から出版されている全曲楽譜集からは、JASRAC(音楽著作権)のことのみ記載されており、公演権のことなど知る由もなく、どこがどの部分を著作権管理しているのかはなはだ不明確である。もし我々以外にもどなたかが、この中からハイライト上演したいと望まれたら、使用した曲のみの音楽著作権を支払えばいいと思うのは当然ではないだろうか?その上、公演終了後はJASRACから当会に払いなさいと請求が来るので基本的には支払ってきた(クレームが来る迄の5回分は支払い済みで、会計の都合で2回分の支払いが残っていた)し、私たちに悪意がなかったことだけはわかっていただけるだろう。
ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」から10曲を選び出し、それから再構成して作った別のミュージカル「アナテフカ物語」はあり得ないのか?
10曲の音楽著作権を支払うだけでは何故だめなのか?では、仮に5曲だけ使ってハイライト公演したら音楽著作権ですむのか?3曲なら?
2,このアナテフカ物語は、ジェリー・ボック氏の音楽からと、ショラム・アレイヘムの原作のみから、私が全て作り上げたと言うわけではない。トポル氏主演の映画の振り付けなどからは大きな影響を受けたことは認めざるを得ない。映画の著作権はまた別らしく、どう対処すべきか私もわからないが、東宝ミュージカルの上演からは演出・台本・訳詞・構成・振り付けの全てにわたり距離をおいていることを主張する。ただ、東宝の公演を見た出演関係者が部分的に同様の振りやアドリブを入れたかもしれないが、それはやむを得ないのではないか?
3,上記と関係するが、もうひとつ指摘しておきたいのは、原著作権者にも東宝ミュージカルにも相応の利益をもたらすことである。出演関係者だけでも延べ100人くらいが東宝の公演を見に行っており、CD等を買った人も多く、映画の方もほとんどの人が見ている事実は原著作者にも間接的に利しているのではないか?我々も音楽著作権は使った分だけ支払ってきたわけだし、我々がこうして上演していることが原作者たちに利益をもたらしていることだけは認めていただきたい。
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申し入れ書 2004年9月15日
園高明弁護士殿
先日は、お電話頂いてしまい恐縮しております。
さてご提案の前に、以下の当会の考えをもう一度ご理解下さいませ。
1、この『アナテフカ物語』は、ミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』から音楽のみを10曲くらいお借りし、当会のオリジナルで作り上げたミュージカルであると今も認識しております。
ただ、映画の『屋根の上のバイオリン弾き』からは多少の影響を受けている事は認めますので、その分の著作権はお支払いすべきかも知れません。ただ、具体的なご指摘を頂けませんでしたので、法律的なことはわかりません。著作権法のことは、私は全くの素人で何もわかりませんが、憲法の精神と一般市民の良識をもとに私見を述べているつもりです。
2、当会の出演者はアマチュアが主体で、プロが参加し指導もして作り上げるものです。
著作権料がN氏のおっしゃる、アマチュアなら15%、プロなら11%という設定によると、我々のは13%でしょうか?それにお借りした曲以外の資料を全然使っていないわけですから、ご請求の資料代は支払わなくてよいはずではないでしょうか?構成・台本・訳詩・演出・振り付け・編曲のすべてにわたって当会がオリジナルで作ったわけですから、仮にお支払いするべきだとしても、本当は5%くらいでは、と内心思っています。
3、当会は全くの非営利団体で、NPO法人になろうとしております。残念ながら今まで28年間の債務はかなりの額に達しています。しかしながら、『市民参加オペラで日本を元気にしたい』『オペラで国際交流することにより世界平和に貢献したい』という当会の趣旨にご賛同くださるスタッフや支援者たちからの借入れ金等で今何とか運営しております。この『アナテフカ物語』や『忘れられた少年』など、地方での小規模公演を積み重ねる事によって、やっと事務人件費の一部を捻出している現状です。
上記の事由はありますが、穏便にかつ早急に解決したいという我々の熱意により下記のぎりぎりの提案をするものです。私たちの真意をどうぞ御斟酌くださいませ。
解決への提案
1、当会は、今までの『アナテフカ物語』の著作権料名目(以下、単に著作権料といいます)として実入場料収入500万円の11%(N氏がプロの公演とみなされた為です)=55万円を来年3月末日迄に支払う。倍額支払う事はこれまでの事情を考えると納得できません。
2、9月に行われた『アナテフカ物語』の著作権料として、実入場料収入の15%(今後はアマチュアとして公演します)=を9月末日までに支払う。
3、来年1月30日長崎県川棚公会堂公演の著作権料として実入場料収入の15%を来年2月15日までに支払う。以後の公演も同様とする。
4、来年度4月以降に公演するものにつきましては『アナテフカ物語』という作品名を、『屋根の上のバイオリン弾き』と改め、原作どおりに全曲上演することに同意します。
N氏の請求書に資料代がありましたが、それは使っていない以上支払う義務はないと考えます。またN氏が設定された著作権料を公演の一ヶ月以上前に支払え、とのことですが、今は非常に難しいこともお分かり下さい。
以上の通りですが、再度確認をお願い申し上げます。私がこの提案をさせていただくのはN氏のお申し入れに納得したからではなく、早急な平和的解決を強く望んでいる故に、ぎりぎりの妥協線をご提案したいからであることをご理解下さい。
東京オペラ協会 代表 石多エドワード
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それから2ヶ月 何の音沙汰もなくこちらは妥協案を呑んでくれたものだと思った。
2004年11月末 長崎県から兵庫県に電話が入り、兵庫県は著作権問題を知る。
1月の長崎巡演、3月の兵庫巡演が控えていて多くの市民が参加しているため、9月の妨害が1月にまで響くのは全く関係のない市民をまき添えにしてしまうと思ったため、小松陽一郎弁護士のアドバイスに従い穏便に解決するべく、先方の弁護士に妥協案を提出したのだが、確認のため、先方の弁護士へ電話をしたところ、先方の弁護士は「もう私はこの件から降りました」と言われた。私たちもどうなっているのか全く分からず、IMIに問い合わせたところ、「この件はアメリカの本部MTIという会社にあげました」とおっしゃった。
それから東京オペラ協会は年末年始にかけてアメリカのMTI社と何度もメールのやりとりを行ない、妥協点を探った。MTIのコーエン担当部長は『「アナテフカ物語」を止めるならアマチュアとしての許諾を与えられるようすぐに働く』とのお言葉に、それを信じて当会も従うと申し伝えた。しかし、東宝ミュージカル側が恐らく反対したのであろう。許諾は結果としておりなかった。
→ MTIコーヘン業務部長との往復書簡はこちら
2005年1月7日 兵庫巡演が中止
兵庫県実行委員会側は、このような問題があっては公演を中止せざるを得ないとのことで、一方的に2005年1月7日兵庫巡演を中止された。
1月に予定していた川棚町がそれを知って「兵庫県も降りたのにこちらもできない」と言ってきた。貸館だけの長崎県大島町も同じく長崎県川棚町が降りたことと長崎県の行政指導もあり会館を貸せないと言ってきた。オペラプラザ長崎(東京オペラ協会姉妹団体)である長崎県波佐見町の教育長が急遽会場提供を承認してくれたが、隣町の川棚町民が苦情の電話をしてきたことや、やはり県の指導が入り波佐見町も直前に貸せないと言ってきた。こちらは民間施設で市民の意向を酌んで3回無料で公演した。
1月7日兵庫公演実行委員会が解散した日、石多がIMIのN氏に解決の道はあるのかと尋ねると、300万円支払う旨を公証人役場で宣誓した上、月間ミュージカル等に謝罪広告を載せるかと尋ねられ、当会も承知したが、結局解決して頂けなかった。
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「アナテフカ物語」兵庫公演参加者の皆様に 1月8日
今日は残念なことを申し上げねばなりません。
このアナテフカ物語は、2002年にミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」から曲だけをお借りし、後のすべてをショラム・アレイヘムの原作をもとに作られたものです。従って私は2004年迄JASRAC(音楽著作権協会)に音楽著作権だけを支払う形で公演してきました。
しかし2004年7月にIMI(インターナショナルミュージカルス新社)から公演権の入手が必要であり、当会の「アナテフカ物語」は著作権法違反である、との連絡が来ました。双方の主張が平行線をたどりましたが、東京オペラ協会も無益な訴訟は避け穏便に解決したいと思い、当会からIMIに最終的な妥協案を9月末に提出し連絡を待ちました。しかし、ご返答が一ヶ月半ほどなかったため、先方が当方の主張を甘受されたものと解釈し、実行委員会(兵庫県芸術文化課、兵庫県芸術文化協会、神戸市文化ホール、西宮市民会館、洲本市民会館、東京オペラ協会)の皆様にはこの件について伏せておきました。
しかし突然11月になってIMIから兵庫県芸術文化課に公演中止の要請があり、実行委員会で対応を検討してきました。私自身は当初の主張どおり、「曲をお借りしているだけだから、音楽著作権料を支払えばいいはずだ。日本で出版されている楽譜にもJASRACの許諾が示されているだけですから。」と考え、訴訟を受けてたって争い公演を実現したく思っていました。
しかし平和的解決のため、年末年始にかけて全力をあげ、IMIの親会社であるアメリカのMTI(Music Theatre International)の担当部長とお互い誠意を持って真剣に折衝を重ねました。その結果先方は、私が「アナテフカ物語」をやめ、原作の「屋根の上のバイオリン弾き」としてやるなら、公演権を与える旨、1月3日に示唆されました。しかしお約束の1月7日現在には間に合いませんでしたので、実行委員会としてはこれ以上問題を先延ばしすることができず、公演中止という選択肢をとることに致しました。
参加者の皆様のお気持ちを考えると、申し訳ない気持ちでいっぱいですが、どうぞ諸事情ご高察の上ご理解くださるよう慎んでお願い申し上げます。
東京オペラ協会総監督 石多エドワード
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これは何だろう?「アナテフカ物語」の著作権問題、1月18日
3月公演予定の阪神淡路大震災10周年記念兵庫公演実行委員会解散に続き、1月末予定の川棚町公演から川棚町が降りると先日知らされました。
日本人は基本的に争いごとが嫌いだということになっていますね。争いごとは日本人を必要以上に長く深く傷つけることが多いので、本音と建前をうまく使い分け、争いを表面に出ないよう工夫してきたところもあります。つまり、決定的なことをはっきり言う前に、相手に察してほしい、わかってほしいと願うのです。表面的にはとてもいいことだと思えますが、これが誤解の元にも隠れた怨恨の元にもなってきました。曖昧にしておこうというこの風潮を悪用して増長してきたのが大企業、有名人、学歴社会、日本の役人社会と言えるでしょう。
例えば多くの皆さんが役人の悪口を言いながらも、「おしゃべりで鬱憤晴らし、何もしないで腹に溜め込み、奴らの言いなりになる気?」になっていないでしょうか?長いものには巻かれていればいいんだ、と弱い立場に追い詰められた人々(テロリストも)を見放してゆく。些細なことではうるさくがみがみと目くじらを立てるのに、巨悪を前にしたとき私たちはつい沈黙しがちではないでしょうか?
残念ながらこれが日本人社会?
悲劇が起こったときはいつも、その直接的な原因や近因までは論議されるのですが、根本的な遠因まで論議され、その解決策を探り出し、対処してきたでしょうか?根本原因を抑えなくてはならないのに、マスコミもお金のため、大衆の即物的な好奇心に合わせて事件の表面に振り回されて行ってしまい根本的な解決策を論じない。情けない限りです。
では根本的な解決策は?分かりきっているじゃないですか、相手を思いやる心を芸術活動で育てることです。
ついでながら、普段私たちは何をしているでしょう?身近なあなたの周りにいる人々をよく見ないことから周りに夢を持てず、テレビ雑誌の有名タレントにミーハー的な夢を持って何か誤魔化しています。言ってみれば、自分で考えてゆく想像力を発揮するのも面倒くさく受身になり、損をしないようアンテナだけをただ張っておき、何か面白そうな話にすぐ飛びつけるようにしているのでしょう。こうしてマスコ等の巨大産業の思う壺に嵌って、私たちは操られていっているのではないでしょうか。
例によって、思いつくまま続けて書いてゆきます。
まず、芸術家が作品を作るのは何のためだと思われていますか?ミュージカルは何のために作るのでしょう?お金?名誉?世界平和?芸術家を食べさせるため?スタッフなど関係者のため?いろんなものが絡み合っているのでしょうか?
ベートーベンやモーツアルトは何のためにあの名曲の数々を作ったか考えたことありますか?彼らが得たものは死後の名誉?著作権法があれば、彼らはどれだけの収入を得たか考えたことは?彼らは天国で文句を言っているでしょうか?
普段私たちは目先のことに振り回され、あまりにも考えなさ過ぎではないでしょうか?
そして、お金がすべてとあまりに安易に思い込んではいませんか?
キリストはこう言いました。「金と神の両方に仕えることは出来ない」「金持ちが天国に入るのはラクダが針の穴を通るより難しい」。お金持ちは死を前にして何を思うのでしょう?
さて、著作権法が出来て、誰が喜んでいるのか?
もちろん、現代の成功した売れっ子音楽家、デザイナーや作家はいいでしょう。その関係者もいいでしょう。版権・著作権管理会社も仕事が出来ていいでしょう。しかしこうして、この利益を守るため働く、お金に振り回されるグループがまた生まれるようにも思います。人を幸せに出来る芸術をうみだしたいと純粋に願っている芸術家にとって、成功不成功は紙一重、つまりどちらに転んでもいいようなものです。「結果を大事にする」といった風潮が成功不成功を二極化させてしまいます。完全な成功や不成功はないのです。みんな玉虫色。奢る平氏は久しからず、です。しかし世の中には既得権を必死で守る人々が増え続けています。これも人間がお金にしがみついてゆくさびしい姿です。
この姿。釈迦やキリストは、またマホメッドだって何と思うでしょう?
今、東京オペラ協会に充分な資金があればどんなにいいかと思います!
これは残念ながら事実です。そりゃあ、もっと資金があればもっと効率よく事業が展開できただろうし、僕もこれだけ無理をしなくても良かったかも知れません。スタッフたちは私の姿勢を理解し、それなりの覚悟をした上で付いて来てくれているのでしょうが、彼らにもう少し楽をしてもらえるかも知れません。しかし皆様。私は資金が充分なくても、何とか当会のやるべきことを今まで何とかやって来ることができたように思います。あとのことは神様に任せたいのです、私たちがどうあがこうとすべて神の御手にあるのですから。この苦労の中に神の深い意図が潜んでいるのかも知れません。神や仏など?笑わせるな、とおっしゃる方にお聞きしたい。
あなたは自分ひとりで生きていますか?あなたを包む空気や水という大自然、そして周りの人々によって生きることが出来ていますね。あなたも、あなたを取り巻くものも誰が作ったと?日本的に言い直すと大自然そのものによって私たちは生かされている、と言ってもいいでしょう。だから目先の損得感覚に敏感であればあるほど、無限の大自然(神)を忘れていっている自分に気付いて下さい。
降りられた行政の皆様の気持ちも考えましょう。
さっきの既得権を守る典型ともいえる方々ですね。大きな間違いを起こさずにいることが、徐々に出世し一生安泰というわけです。新しいことに取り組んだりして失敗するのがイヤなのですね。前例にのみ頼り、自主的な判断が出来ない人々の団体です。こう決め付けるのはいけませんが、それほど鮮烈に言わないと伝わらないので、今はお許し下さい。そして彼らを食べさせているのが皆さんなのです。皆さんのための役人にしたいなら、皆さんが揃って声を挙げるのがいいのですが、皆さんも危ない橋を渡りたくないーーー、だから付け上がる役人。こんな構造がずっと続いている日本です。皆さん、これからどうしたいですか?
まして今回のように、訴訟を起こすと驚かされたら行政は?ひとたまりもありません。東宝側もそれを狙って脅かしたのでしょう、何としても公演をやめさせようと。「行政がひく様な事を東京オペラ協会が提案したんだ」、ということが他の行政にも広がると、評判が響いて、これから行政との共同事業が今後しづらくなる、ということも狙ってこうしてきているのでは、とある行政マンの助言。 |
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上記は一般的な官僚的行政マンのことで、市民・町民の為に粉骨砕身している地方行
政マンの素晴らしい生き様にも目を向けましょう。公僕という言葉にピッタリの人々
です。しかし残念ながら彼らは少数派で行政の中で浮いた存在にさえなりがちで、管
理だけしたがる上司からは煙たがられてしまっているのではないでしょうか?
私は何としても彼らを応援したい。 |
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ともかく、1月7日の実行委員会解散の決定により兵庫県の1000万円の支援は消えました。その上、兵庫県側は今までの地元指導者経費と出演参加者へのひとり5000円くらい〈200人で100万円〉のお詫び金に当たるものを当会に用意するよう要求されました。
他に出す財布がないからだそうです。また便宜上、今まで使った楽譜は差し上げ、ビデオも差し上げてくれと。集まった実行委員は15名くらいで殆どが4〜50代の男性、女性は野崎ひとり。私の話しを聞く前に中止を決めていたようで、頭が硬いというか、別の可能性など全く何も考えず、作られた雰囲気にただ流されてゆく男性たち。行政マンの典型がここに。
あの雰囲気の中では、私の言葉も彼らの心を変えることは出来ませんでした。これ以上荒立てることは、ご紹介いただいた羽田元総理や他の有力者にもご迷惑がかかるのではと遠慮せざるを得ませんでした。これは当会の新たな経済負担となりますが、これも新たな試練と受け止めます。
そして、ここからが私らしいところですが、地元参加者の皆さんのことです。
彼らはどうなったと思いますか?
型通り中止になった経緯をご説明し、ご質問を受け付け、説明会を終えてからです。
私と市民だけで今後の話し合いになったのです。
まだ1〜2度しか各地(神戸市・西宮市・洲本市)で教えてこなかったのですが、当会と何とかやり続けたいと殆どの方が切望され、私も是非と応えて、結局各地で実行委員会のようなものができ、連絡網まで作られたのです。
演目は、私が訴訟を受ける覚悟で「アナテフカ物語」にするか、穏便にミュージカルオペラ「魔法の笛と鈴」にするか、中間的にコンサート形式でいろいろな曲をミュージカル特集でやるか、まだ未定です。しかし今月中に皆さんと詳細を打ち合わせ、3都市の一般市民実行委員会と当会が4者で総合的な民間の実行委員会を再編成し、兵庫を再訪し県庁で記者発表しマスコミの協力をお願いすることになります。
その予定されていた1000万円の補助金を延期してどうして使えないのですか、と説明会で一般市民から県側が詰め寄られる場面もありましたが、県の芸術文化課長は「一度つぶれた話ですのでもうあり得ません、」と口ごもって話されるのをみんなどんな気持ちで聞いていらっしゃったか?課長さんも辛かったのでしょうが、これが行政というものか、と思わずにはいられなかったことでしょう。
ただ、西宮の担当者は、市民がこんなに燃えていらっしゃるのだから、わたしとしても本会場や練習会場の無料提供の手配をしたいと考えています、と話され参加者からの盛んな拍手を受けておられた。
とにかく、新しい民間の実行委員会を作って県に対して補助金の申請をするつもりです。どうなるかお楽しみに。マスコミ発表で記者たちはどんな反応をするでしょうか?
さて今日は2月7日です。
上記まで書いて、半月がたちました。この間、長崎公演をこれ以上邪魔されないよう沈黙を守っていたのですが、知らぬ間にどんどんと噂が悪い方向に傾いてゆき、「東京オペラ協会が著作権をしっかり対処しなかったからこうなったのだ」というような方向の話が広がっていたのです。驚きました。読売新聞淡路版に当会が「認識が甘かった」と謝罪したことになっていました。当会に確かめもせず、そんな記事を勝手に載せた読売新聞のモラルが問われます。それに影響を受けて当会を批判してしまう人もいるのですから問題です。どう抗議しましょうか?一方、絶賛したい同社の記者もいるのですから、やはり人ですね。
また長崎では、長崎県の文化推進室の関係者が、川棚町や大島町と相談して否定的なアドバイスしていたことが分かりました。川棚町の代わりに会場を提供しようとしてくれた波佐見町に対しても電話していらっしゃり、「貸さないほうがいいのではないですか?」と[圧力ではなく]アドバイスされたそうです。長崎県文化推進室では『ホールネットワーク支援事業』をされており、今回もその補助金を受けて鹿町町と東彼杵町公演が実現し、川棚町もその支援で公演しようとしていたのです。
また川棚町では中止決定後当会に対し、契約料の210万円を全く支払わないほか、今までかかった印刷費なども請求できる「契約解除の契約書」を取り交わすよう求めていらっしゃいました。絶句するのみです。われわれに非を無理やり認めさせたいのでしょうか?
そして当会が「問題を起こした団体」として長崎県文化推進室や県内各行政に広く認識されると、その補助事業に認定されなくなるのではと危惧されます。やはり、何か手を打たねばならないのでしょうか?やがて分かってもらえる、ではダメなのでしょうか?
しかし幸いに、
ある優秀な(視野が広く、冷静でかつ心が温かい実行力のある)弁護士でもある代議士が理解を示してくださり、先日彼の事務所でゆっくり話し合いました。
これからじっくりと作戦を練って戦って行くことになります。
私の激しい過ぎる情熱とうまくバランスが取れそうです。
(この間の小泉首相との国会答弁をNHKTVで聞いていると、やはり熱い情熱に満たされた方で、僕が冷静にならなきゃ?と思いましたが。)
彼は僕の友人H君の友人でもあり、奇遇としか言いようがありません。しかし、それだけではないのです。その後再び彼の事務所を訪ねると、何と僕の中高通じての同級生の友人K君がいたのです。彼のところでK君は秘書として働いていた訳です。
びっくりしたのなんのって!!
即日他の同級生を呼び同窓会を開いて、夜中まで旧交を暖めました。本当に人生は面白い。何があるか分かりませんね。夜更かし、ごめんなさい。体は大事にします。皆様もご自愛を。
空に海――、こんなに青い。
どんなときも、いつまでもこの自然を忘れずにいましょう。誰もが自由に舞台を楽しめる、そんな豊かな社会を目指しましょう。 |