ようこそ! NPO法人 東京オペラ協会のホームページへ!
NPO法人 東京オペラ協会 エドワード親書 東京オペラ協会がめざすもの 21世紀プロジェクト 東京オペラ協会公演企画書 公演スケジュール お知らせ お問い合わせはこちら おぺら掲示板
忘れられた少年 高山右近 ザビエル 徐福伝説 魔笛 フィガロの結婚 第九交響曲オペラ版
 


フィリピン移民100周年記念事業 高山右近生誕450周年
日比合作オペラ『高山右近』


台本:永久村次郎 作曲:マヌエル・マランバ/石多エドワード


~日本からマニラにともに追放された者たちに言い遺す。

『剣を取るものはみな、やがて剣で滅びん。』

この地の人々と子孫を作り、いつの日か再び日本に帰りなさい。

平和の使者として!~



高山 右近





               1. 代表顧問ごあいさつ
               2. 芸術監督ごあいさつ
               3. 公演概要
               4. 作曲家プロフィール
               5. 台本作者プロフィール
               6. 実行委員会構成図
               7. 協賛概要



               主 催;日比合作オペラ「至福の王者-高山右近」実行委員会
               上 演;東京オペラ協会 + サント・トーマス大学




代表顧問 ごあいさつ

 


時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。 日頃、日比友好親善にご賛同・ご協力頂いております皆様方にお知らせがあります。

来年は日本人がフィリピンへ移民として第1歩を踏み入れてから100周年を迎えます。 当在日フィリピン大使館、そして在比日本大使館に於ては記念行事が多々計画されております。
マニラでは日本大使館主催の2月の恒例「日比友好祭」が開催されますが、 その一環として日比友好のシンボル的存在で、「キリスト教禁止令」により比国に追放されマニラで没したキリシタン大名=高山右近の波乱万丈の生涯を描いた、日比合作オペラ「至福の王者-高山右近」(東京オペラ協会 + サント・トーマス大学)が目下制作準備を開始しました。

そしてマニラでの2003年2月の柿落とし公演の後、日本各地での公演を計画しております。 奇しくも来年は高山右近の生誕450周年にあたります。
私は日比友好を願う有志の皆様と共に、日比合作オペラ「至福の王者-高山右近」実行委員会を組織して参加し、この意義ある事業を支援してゆく所存であります。

皆様方のご理解とご協力を広くお願いする次第です。

  2002年8月22日

   日比合作オペラ「至福の王者-高山右近」実行委員会 代表顧問  
   
ドミンゴ L . シアソン(駐日 フィリピン共和国 特命全権大使)

top

芸術監督 ごあいさつ

 
東京オペラ協会はおかげさまで昨年、創立25周年を迎えました。
国際交流をオペラで!と唱え続けた当会は、オペラ「忘れられた少年-天正遣欧少年使節 」では欧州各地で芸術家同志が共演し、日中合作歌劇「蓬莱の国-始皇帝と徐福」では、日中各地で中国国立の中国歌劇舞劇院と共演を続けてオペラによる国際交流を続けております。

日本とフィリピンの交流の歴史はわかっているだけでも500年以上になるでしょうか?この間、実に様々な出来事がございました。
第2次世界大戦の悲惨な経験が、日比交流にあまりに暗い影を投げかけているため、他に数々の交流があったことについては、あまり強い関心を寄せられないでいたようです。

しかし、両国の間には美しい話、愉快な話、いろいろあったこともまた厳然とした事実であります。
私事にわたって恐縮ですが、100年近く前私の祖父は祖母とともに結婚してフィリピンに移民しました。そして父はフィリピンで生まれ育ち、フィリピン人である母は戦時中に日本軍の報道部に勤めていたおりました関係で二人は知り合って結婚したのですが、その頃の両親達の苦労を聞き及んでおりました。そんな中、戦後すぐの1947年フィリピンで胎児となり日本で出生した私は、自分なりに将来は外交官になって日比友好に役立てればと考えておりました。ところが何時の間にか音楽の世界に飛び込んで、オペラの芸術監督として外国の芸術家と様々な合作交流をしている自分の気づき、やはり民間外交官として生きていることに、驚きと感慨を併せ持つこの頃でございます。

400年あまり前の日本は戦国時代、秀吉が武力で日本を統一し、さらに朝鮮、中国へと進出しようとした頃、この高山右近というキリシタン大名は、自分の信ずる道のためその大名という地位を捨てマニラに追放される道を選びました。キリスト教を保護するためには西軍と組んで東軍と戦う道もあったのですが、右近は武力では何も解決しないことを身をもって示します。
アジアでも軍拡への道を歩む国が後をたたない今こそ、彼の生き様をじっくり描くことが大切と考え、日比合作オペラ「至福の王者-高山右近」を創作しようとした次第です。

様々な方々のご協力を得て今回の大事業が進められております。
日比友好、世界平和を心から願う皆様とともに力を合わせてゆきたいと願っております。

         東京オペラ協会 芸術監督 
石多エドワード
top


公 演 概 要


日比合作オペラの目的 オペラを日比合同で製作し、合同で日比巡演することにより、日比友好親善に深いレベルで貢献する。 武力を拒否し続けた高山右近の生き様をオペラで歌い上げることにより、世界平和にも貢献する。
   
オペラのあらすじ 《第1幕》マニラへの船上
1614年宣教師・キリスト教徒追放令によりマニラに向かう船に高山右近ら一行が乗っている。
右近は、キリストの教えにより自分が変化していった日本での様々な思い出を蘇らせる。 彼のの武将としての成功や、茶人としての名声が大きな噂となる中、秀吉の禁教令の布告。 追放される右近を見守る、さまざまな人々、そして細川ガラシア………

《第2幕》キリストの国:フィリピン
一行はマニラで大歓迎を受けるが、スペイン人と彼らがもたらしたキリストの教えを受け入れるフィリピン人、その大きな包容力に右近は感動。そして、以前に流れ着いていた日本人たちの様子も描かれる。
いつか殉教を願った右近だったが、すべてを受け入れ最後に幸せに昇天する時、皆に言い遺す。

「ともに日本からマニラに追放された者たちよ。
『剣を取るものはみな、やがて剣で滅びん。』
この地の人々と子孫を作り、いつの日か再び日本に帰りなさい。平和の使者として」と。

右近が示した、自己の信ずる道一筋に全てを捨てて生き抜くこと………、
彼の生き様は、武力に振り回される現代に、何を物語ってくるだろう?
   
  台 本;永久村二郎(東京オペラ協会 芸術監督)
作 曲;Manuel Perez Maramba (サント・トーマス大学教授)

出 演;東京オペラ協会15名、
    サント・トーマス大学35名  
    各オーディションにより選抜約50名。
    歌手30名、演奏者10名、スタッフ(舞台関係者含む)10名
    混声合唱・児童合唱も公演地で募集して出演していただく。

音楽は4~500年前の日比両国の民族的音楽を素材として多様するが、万国共通語としてのクラシック音楽が基本の音楽となる。 言葉は英語を基本に作曲されるが、日本語、タガログ語、そしてスペイン語も部分的に使用される。
※但し、日本巡演は日本語訳にて歌われる。

  ◎サント・トーマス大学
 フィリピンのみならずアジア最古の大学として知られるこの大学は、
 学生数3万人の大きな大学として国の内外に知られております。
   
上演計画(暫定的な計画で、変更の可能性があります)

2002年 9月中旬
  日比両国でオーディション
     10月~
  日比両国で練習開始
2003年 6月26日27日
  東京文化会館で初演
     8月末
  フィリピン マニラ公演。
    以後、日比両国で巡演を続ける。また、欧州やアメリカなどでも巡演を計画。
top



作曲家プロフィール

  Manuel Perez Maramba(a.k.a Dom Benildus b.)
マヌエル・ペレズ・マランバ(別称;ドン・ベニルドゥス)
 
                    1936年7月4日マニラ生まれ。
                  作曲家、ピアニスト、教師。

マランバはベネヂクト派の修道士で、修道士としての名前はドン・ベニリドゥス・マリアという。
銀行家トーマス・マランバ兄を父に、ピアニストであるパシフィカ・ペレズを母に持つ。パシフィカがマランバの最初の音楽教師でもある。
かれはサント・トーマス大学の音楽部の学位を17歳で取得した。その後バルチモアのピイボディー音楽学校に入り、1956年にピアノマスターズクラスの修士号を取得、また1958年には作曲の学位を取得した。続いてイェール大学で音楽芸術学の修士号を取得、また宗教音楽をドイツのレーゲンスブルクの教会音楽学校及びウイーン音楽学校で学ぶ。マランバは哲学学士号と宗教理論とカノン旋法の修士号ももっている。
ピイボディーでマランバは、ピアノをリリアン・グッツマン・アワードに習い、作曲をマリエ・ザッッチャー・アワードに習った。
イェールで彼は、マルタ・クルティス・マイルス奨学金を理論と作曲で得、ルーシー・モーゼス研究奨学金を演奏法で得た。彼はカーネギーホールとスプラーグホールに於ての芸術家協会オーディションで協奏曲作曲で合格した。

かれは19歳の時イェールシンフォニィーオーケストラとカーネギーホールで共演し、またそれは1974年のことで、アメリカ、ニューメキシコ州のサンタフェにある聖ヨハネ大学の在留音楽家であった。マランバは世界での数多くの演奏歴があるが、フィリピンの主要オーケストラとのソロ演奏家としてデビューした。宗教音楽の作曲家としては、フィリピン唯一の聖人に捧げられた“聖ロレンソ・ルイス賛歌"によりもっともよく知られている。また彼は1981年にバレー“目覚め"を、1982年にオーケストラ音楽としてピアノ協奏曲、1983年に“変容1"、そして1987年に“変容2"を室内楽として作曲。

1970年の終わりから、サント・トーマス大学(UST)に於て、USTシンフォニーオーケストラ、UST金管五重奏団、UST吹奏楽団を育て上げ隆盛させた。1990年3月、ベネディクト派修道院長によりマライバライ・ブキグノンの修道院に派遣され、そこで法王ローマ6世典礼研究所の助監督を務めている。

マランバはUST及びデラサッレ大学から著名なアルムニ・アワーズに師事した。彼はベネディクト派修道院のカントルム学校とサンベーダグリークラブのオルガニスト兼合唱指揮者として大いに燃えた。
彼はフィリピンオルガニスト協会の会長で、フィリピン国立音楽協会のメンバーでもある。そしてピアノ教師組合の評議員でフィリピン作曲家連盟のメンバーでもある。
top


台本作者プロフィール

  石多エドワード
 
  1947年9月21日 大阪市に生まれる。
         父はフィリピンで出生した日本人、母はスペイン系フィリピン人。
1965年3月    大阪府立高津高校卒業。在学中、体操部部長、自治会会長。
1970年3月    武蔵野音楽大学声楽科卒業。在学中、作曲を平井康三郎他に師事。
1976年7月    「東京オペラ協会」の前身、「グループ潮」第1回公演。
         以後、現在まで代表・芸術監督として下記の仕事を制作。
 
 

◎荒川区、豊島区、新宿区等で市民参加型のオペラ公演を全国に先がけて上演。

◎欧州の古典作品を、現代の視点から再構成した公演を続ける。
  ○ビゼーの「カルメン」を東京山谷の夢物語に、またダンスオペラに。
  ○モーツァルトの「魔笛」を、「魔法の笛と鈴」とミュージカル化し、
   100回以上の公演。
  ○モーツァルトの「フィガロの結婚」を歌舞伎オペラにして
   
やはり全国で十数回の公演。
  ○ベートーベンの第9交響曲、バッハのマタイ受難曲のオペラ版を
   日本ではじめて上演。

◎「国際交流はオペラで!」と考え、日本から世界向けのオペラを創作・公演。
  ○「忘れられた少年-天正遣欧少年使節」 柴田南雄作曲、石多エドワード台本・
   総監督を日本とヨーロッパで、計100回の公演。
  ○日中合作歌劇「蓬莱の国-徐福伝説」呂遠作曲、遊仙三郎の筆名で台本・
   総監督を中国で5回、日本で11回公演。

◎オリジナルの曲を中心に全国で40回のリサイタルを開催。

1979年~1999年 帝京大学において教鞭をとる。
   「音楽」「現代芸術論」「音楽実技」等を担当。

◎「石多エドワード歌曲集」を2000年10月再版。

◎今後の仕事。
  ○音楽劇「のこされた微笑み-ある死刑囚の最後の朝に」を鈍器奉天の筆名で
   2003年春から全国で50回公演を目指して制作中。
  ○オペラ「至福の王者-高山右近」を 日本とフィリピンの合作で
   2003年春より、日比両国あわせて十数回の公演予定。  
  ○オペラ「神代物語」(高木卓台本作曲)を制作し、2003年秋頃初演。
  ○オペラ「平野運平」日本-ブラジル友好で制作中。

top


実行委員会構成図 8月14日現在・申請予定含む
     
主 催
  日比合作オペラ「至福の王者-高山右近」実行委員会
上 演
  東京オペラ協会 サント・トーマス大学
共 催
  上演地自治体 日比友好祭2003年
後 援
  日   本;外務省 文化庁 フィリピン大使館 日比友好議員連盟 国際交流基金
フィリピン;日本大使館 マニラ日本人会 マニラ商工会議所 JICA,ジェトロ マニラ会
助 成
  国際交流基金・芸術文化振興基金・文化庁2国間文化交流支援事業・万国博覧会基金 他
協 賛
  募集中
     
代表顧問
       
  ドミンゴ L.シアソン フィリピン共和国特命全権大使
       
役員(顧問・常任委員)
       
    白柳 誠一 カトリック枢機卿
  シアソン和子 シアソン大使ご夫人
     
    伊藤 英成、上杉 光弘、遠藤 和良、奥田 建、北村 誠吾、河野 太郎、 後藤田 正純、 坂上 善秀、
    桜田 義孝、 佐藤 昭郎、高野 博師、武見 敬三、 土井たか子、土肥 隆一、 中山 利生、羽田 孜、
    鳩山 邦夫、鳩山 由紀夫、 浜四津 敏子、山花 郁夫、米田 建三 (以上国会議員 50音順)
       
    水 島 総  映画監督
    野口 裕哉 マニラ新聞社 社主
    石多エドワード 東京オペラ協会 芸術監督
     
実行委員
       
  【フィリピン側】  
  マヌエル・マランバ 作曲家/サント・トーマス大学教授
  三木 睦彦 比日文化協会会長
    デ・ペドロ 高山右近研究家/サント・トーマス大学教授
    西 本 至 神父・シン枢機卿秘書
    モデスタ・ブクレン 元マニラ首都圏教育長/石多エドワードの叔母
    安田 紀夫 マニラ新聞 副社長
    津 坂 明 実行委員会マニラ事務局長/サント・トーマス大学高山右近記念教授
       
    【日本側】  
    田村 雅雄・都竹 廣明 ウィンズ・インターナショナル
    シスターレメディオス カトリック修道女
    小川 秀文 東京外国語大学 フィリピン考古学・タガログ語教授
  山下 美知子 東京外国語大学
    ヨランダ津田 比人
    中 野 聡 一橋大学 社会学研究科 助教授
    梅田 裕久 高槻・高山右近研究家
       
事務局(東京オペラ協会)
       
    早 川 亙(顧問)、井戸理恵子(アドバイザー)、野崎 真琴(事務局長)、永井 珠海、鈴木 慶弘
       
5566
日比合作オペラ「至福の王者-高山右近」実行委員会(2002.07.02)

top


協 賛 概 要
   
◆ 特 別 協 賛 ◆
10,000,000円
  舞台袖に社名を記載(各公演会場)
チラシ・パンフレット類に協賛会社名を大きく記載
チラシ・パンフレット類に大きく広告掲載
写真・映像類の版権利用
記者発表時(4月25日)に協賛会社名の社名看板を掲示
招待状の提供
     
◆ 一 般 協 賛 ◆
1,000,000円(一口)
  チラシ・パンフレット類に協賛会社名を記載
パンフレットに1ページ全面カラー広告掲載
写真・映像類の版権利用
記者発表時(4月25日)に協賛会社名の社名看板を掲示
招待状の提供
     
◆ 個 人 協 賛 ◆
100,000円(一口)
  パンフレットに御芳名を記載
招待状の提供
     
パンフレット広告掲載要領
     
    A4サイズ36ページ(部分カラー)を全部で10000部以上印刷致します。
東京は3000部、各地では1000部印刷の予定です。
         
     
全国共通ページ
各地方ページ
   
表3全面カラー(裏表紙の裏)
60万円  
   
1ページ全面カラー
50万円  
20万円  
   
1ページ全面
30万円  
12万円  
   
1/2ページ
15万円  
6万円  
   
1/4ページ
8万円  
3万円  
   
1/8ページ
4万円  
2万円  
   
1/16ページ
2万円  
1万円  
    ※MO渡しが原則で版下製作が必要な場合は、別料金がかかります。
※広告をご掲載頂いた場合、招待状の提供がございますので お問い合わせ下さい。
※協賛・広告ともに3月10日(月)が最終締め切りです。
top

◆公演までのあゆみ 新聞報道から◆  ◆日本公演写真集 By Michiyuki◆  ◆写真集◆


CopyRight Tokyo Opera Association All Rights Reserved