歌劇「天空の町」〜別子銅山と伊庭貞剛〜

石多エドワード/台本・作曲

 

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歌劇「天空の町」~別子銅山と伊庭貞剛~滋賀公演(2014年5月6日 びわ湖ホール )

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あ ら す じ

■プロローグ 優しい大自然 (現代)
春夏秋冬が静かに移り変わってゆく別子山。そしてそこに咲く花々。木霊のように流れているお経をそっと口ずさんでいるようだ。お経は、美しい女声合唱に発展し、花はだんだん女性の姿となる。そこに旅人が一人やって来て、花たちと別子山の歴史を振り返る。またここに植えられ見事に育った檜、杉、唐松、白樺などは男性に、ここに遊ぶ虫や鳥などの動物たちは子供となって、自然に還った別子山の生き物すべてが、歌い踊る壮大な混声合唱に発展し、活気付いた往時の別子山が蘇ってくる。

■第一幕・・・青  春 弘化4年〜明治27年(1847年〜1894年)
第一場 栄える別子山
別子山の祭り歌が生活観いっぱいに踊り歌われる。歌い踊り終わると女たちが、現代の女の視点からわかりやすく庶民的に、日本のいい男、いい女ってどんな人?と問いかけながら物語は進む。別子山の昔からの生活の様子、切り上がり長兵衛による銅山の発見、広瀬宰平の指導力による繁栄、それらが次々と展開する。

第二場 伊庭貞剛
伊庭の少年時代がまずパントマイムで表現され、続いて結婚し、いよいよ世に出て行くまでが描かれる。

第三場 正義を求め
天下・国家を考えてきた正義感溢れる伊庭にとって、堕落した藩閥政治の官界は自分が住むべき世界ではないと考え、故郷に帰り家族との束の間の団らんを楽しむ。

第四場 果てなき旅
そして別子山に向かうまでの様々な事件や周りの人々との葛藤、それらに女たちがコメントしながら、物語はオペラ的にドラマティックに歌い上げられてゆく。最後に伊庭は、広瀬との対話の中で、遂に別子銅山に単身向かうことを決意する。

■第二幕・・・晩  晴 明治27年〜大正15年(1894年〜1926年)
第一場 別子山の嘆き
火中の栗を拾うが如く、荒れ果てた別子山に来た伊庭貞剛。同じく荒れ果てた人心に彼がどう対処していったか、を描いてゆく。自然が徹底的に破壊され、悲しみと絶望にくれる別子山の嘆きの声を深く抱きとめる伊庭。過酷な労働に苛立つ鉱夫たちとの危険な折衝に、伊庭は誠実に粘り強く向き合い、解決に導く伊庭。そして、せっとう節に続き別子音頭が流れ、感慨深げに見守る伊庭の姿。これこそ日本の男、とささやく女たち。

第二場 晩  晴
労使紛争の解決、煙害の克服、別子山の緑化など、全てを熟慮、祈念、放下、断行し、ついに解決に導けたことを、帰阪して誇らしげに報告する伊庭に、峩山和尚の「世の中まじめに観てな。」の一声。その時、四阪島からの煙害が再び始まったことを報告され、改めて人間の限界を知った伊庭は、自分の成し遂げたことは、大自然からの恩恵はもちろん、別子銅山で働いている多くの鉱夫やその家族、あるいは事務的なことを黙々とひたすら支えてくれた部下たちがあって初めて出来たことなのだ、と改めて気づく。
別子山を緑に戻せたことを謙虚に感謝する伊庭に「晩晴」を見出し、日本人の本来の心、清貧、陰徳、謙虚、素朴、無為自然、自然賛美、などにこそ世界へのメッセージがあることが、死を前にした伊庭の言葉で静かに描かれる。

■エピローグ 大自然の歌
女たちは再び花に、人々は往時の樹木に、子供たちは動物にそれぞれ戻ると、別子山がもう一度静かに大きく浮かび上がり、自然こそが神だ、と微笑みながら旅人が説く。そして、我欲に振り回される今の人間世界を、超然と笑い飛ばし、大自然に還ろう、と語る旅人とともに、花たち、生き返ったみどりの樹木、動物たち、それらすべてが別子山に生きた元気な命としてもう一度甦り、大自然に抱かれることの幸せを最後に歌いあげる。

伊 庭 貞 剛 の 人 物 像

  • iba 困難を極めた人生を誠実に乗り越え、「晩晴」に達した環境対策の先駆者

    明治26年(1893)、硫黄分を多く含む銅鉱石の製錬で生じるガスが原因で、別子の山々や新居浜近郊の田畑・山野が枯れるという大きな煙害が発生していました。加えて農民や労使の紛争という、内憂外患の別子銅山に存亡の危機が迫っていました。明治27年、48歳の伊庭貞剛は、母の弟で叔父の別子銅山支配人、広瀬宰平の要請で、問題解決のため支配人として単身で着任します。
    別子全山、木のない荒れ果てた姿に大変心を痛め、「天地の道理に反する」として、ただちに山林復旧の壮大な植林事業、すなわち毎年100万本、多い年は200万本を超えるという植林に着手しました。

    別子全山を旧のあおあおとした姿にして
       之を自然にもどさなければならない


    殺気立った暴動や争議を収めるに当たり、かごに乗らずよく歩き、ある時は新居浜にくだり、採鉱夫や製錬夫の声によく耳を傾けました。こうして対話・会話で紛争を1年で収める一方、着任早々に新居浜製鉄所の閉鎖、「えんとつ山」の山根製錬所の閉鎖、山林課の再設置(住友林業株式会社の前身)や、煙害対策を根本的に解決すべしと、四阪島への製錬所の統合移転を推し進めたのでした。

    五ヶ年の跡見返れば雪の山 (伊庭貞剛)
       月と花とは人に譲りて (返句:品川弥二郎)

    大正15年(1926)没。享年80歳。近江八幡市の伊庭家墓所に眠る。禅修行の道にも通じた「徳」の人でした。

    一部、末岡照啓氏(広瀬歴史記念館名誉館長)著「伊庭貞剛小伝」引用

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◆ 写 真 集 ◆