日 中 合 作 歌 劇


蓬莱の国―始皇帝と徐福

 

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この日中合作歌劇は、司馬遷の「史記」にございます「徐福」を題材にしたもので、作曲は中国一級作曲家であられる呂遠先生と当会の石多エドワ-ドの共作で、台本は遊仙三郎の筆名で石多エドワ-ドが担当しました。
徐福が秦の始皇帝の命令で、不老不死の仙薬を蓬莱の国=日本に求めに来たことにヒントを得、「不老不死とは何か」「人間の幸せはどこにあるか」「自然とともにあることの喜びを何故忘れていったのか」と自然と人間の共存がテ-マとなってゆきます。
また上演は今までの公演すべてが、東京オペラ協会と中国でも第一の国立オペラ団である中国歌劇舞劇院との共演を続けてまいりました。そして、上演地のプロの音楽家やアマチュアの音楽愛好家、子供たちにも参加出演していただいて、国際交流がより深められるよう努力を続けております。


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あ ら す じ

第1幕 徐福と始皇帝
そのむかし中国では、戦いに続く戦いで、大地は荒れ果て、緑の野山は砂漠と化してゆく。そんな乱れた世を、強大な武力で平定したのが、秦の始皇帝である。
いっぽう方士の徐福は、始皇帝の武力による平和を偽りの平和と否定し、自然と共に平和に生きて行くことに、人間の真の幸福があると考える。

始皇帝は「人民に知恵を与えれば欲を募らせさらに混乱がおこり、結果的に不幸になる」と考え、厳しい法・制度を定め、焚書坑儒して思想統一をし、恐怖政治を行なった。そして、自分が不老不死の体を持つ永遠の絶対権力者になることが人民のためにも大切と考える。
ところがある日、その自分が空しく死ぬ夢にうなされ、逆に徐福に助言を求めるのであった。
徐福は、自然が人間を作ったのだから不老不死の仙薬も自然の中にあるはずと説き、東方に浮かぶ「蓬莱の国」に、いろんな穀物の種と数々の技術者、それに三千人の子供たちを伴い、不老不死の仙薬を捜しに行かせてくれるよう始皇帝に願う。

始皇帝を説き伏せた徐福と一行は無事船出する。ところが途中で海が荒れだし、人身御供にされる子供達の身代わりにひとりの女が海に飛び込む。すると不思議なことに海は静まり、彼方に、蓬莱の国が見えてくる。

第2幕 蓬莱の国
徐福の船団がたどりついた地は、まさしく自然豊かな蓬莱の国、また森の精が支配していた縄文時代末期の日本であった。この美しい国の住人たちは、一行を意外な形で優しく迎え入れる。徐福はこの国の自然の美しさと、人々の心の豊かさに感動する。やがて、文明の使者=徐福は、自然の象徴=森の精の化身キリモと愛し合うようになる。

しかし徐福は、稲作をはじめ、養蚕、機織り、製紙などいろいろな弥生の文化を日本の各地に伝えるため、キリモと別れてさらに旅立ってゆく。そしてこの国は、徐福のもたらした技術により、たちまち豊かな国へと変貌を遂げてゆく。ところが、やがて時が経ち欲に目覚めた人々の中には、精霊たちの森を拓り開く者が現れ、森の精キリモの体はだんだんと痩せ衰えていく……。

徐福は森と稲作、つまり自然と技術は共存できるのだ。それこそが蓬莱の国の知恵なのだ、と教えようとするが、誰もその話に耳を貸さなくなる。やがて徐福がある山の麓に着いたとき、そこに自然とともに元気に遊ぶ子供たちの姿を見、真の理想郷を見出す。その時呆然と立ち尽くす彼に、キリモが死んでゆく姿が浮かび上がる。

やがて自らも死を迎えた徐福は、幻想の中で始皇帝に答える。不老不死の仙薬は、巡り行く自然に身を委ねることにあるのだ、と。その時、天からキリモが降りてきて徐福を迎え、二人はともに天に昇って二羽の鶴となる。

最後に仙人たちが再び登場し、二人の子供はこれからステキな時代を作ろうとみんなに歌いかけ大合唱に広がってゆく。そして人々が自然とともに元気に生きて行く様を、鶴になった徐福とキリモが天から見守りながら幕となる。

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◆ 写 真 集 ◆